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南区黄金山に建てられている「梵潮山・観音寺」です。
※観音寺本堂・鐘楼は、1945(昭和20)年8月6日爆心地から4,250mで被爆した建物です。 |
仁保(島)城の城番であった三浦兵庫頭元忠が菩提寺として建立し、その時の山号は黄金山でしたが、慶長年間(1596-1615)に梵潮山と改称されました。
元忠の城番は天正末期から慶長元(1596)年までの期間であったらしいので、このお寺の創建はその慶長の初期の頃であろうと推定されます。
その後、江戸時代に衰微無住となっていましたが、正保年間(1644-1648)に僧雲嶺によって再建され、三浦元忠の墓といわれる墓碑が残っています。 |
仁保郷土史会・仁保公民館 |
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資料を見ていたら、本堂・鐘楼は被爆した建物として記載があります。
竣工時期は不詳で、構造は木造平屋です。 |
爆心地から≒4,250m 被爆当時町名は仁保町でした。 |
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※広島市は爆心地からおおむね5km以内で被爆した建物を「被爆建物」と呼んでいます。 |
片岡会長は以前に訪ねておられ仁保島の観音様と呼ばれていると・・・交流ウォーク仁保地区探検隊のとき被爆建物ですので立ち寄りましょうと云って訪ねました、藤井先生もはじめてのようでしたが、三浦元忠をご存知でしたので説明板を読む前に教えていただきました、説明板にある墓標は探しきれませんでした。 |
07.12.31裕・記編集 |