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西区己斐本町1丁目を通る旧・西国街道の八幡川(はちまんがわ)に架かる「源左衛門橋」です。 |
JR西広島駅から100余m西に行くと何の変哲もない橋に出会うのですこれが「源左衛門橋」でなのです。
説明を聞くと、江戸時代(紫竹)源左衛門※1)が架けたことでその名がついたそうで当時は「長さが一間の石橋」だったそうですが、現在でも長さ10mにも満たない溝※2)といってもいいくらいの八幡川に架かる橋なのです。 |
※1) |
広島藩初代藩主となった浅野長晟(1586-1632)が竹馬の友であった紫竹源左衛門を紀州から呼び寄せ現在の己斐西町に領地を与え住まわせていた。
あるとき大雨で八幡川が氾濫通りかかった大名行列が困っていたのをみて、屋敷内より資材を持ってきてにわか造りの橋を架けて行列を通したことから、この後出来た橋も源左衛門橋と呼ぶようになったと伝えられています。 |
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*1891(明治24)年度量衡法に基づいて、一間を六尺(≒1.818m)とする尺貫法の単位を定めた。 |
※2) |
1径間の鉄筋コンクリート橋。長さ:8.23m、幅:6.87mだそうです。(広島市文化財団の資料参照) |
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2005年交流ウォークの時に旧西国街道に架かるこの橋が源左衛門橋という事を教わりましたので撮影してこの頁を編集しました。
2010年東詰の方からみて撮影しました。
2017年被爆橋梁である観光橋を撮影しましたので、JR西広島駅から帰宅するときにこの源左衛門橋も撮影しました。西詰北のビルに入っていたコンビニのポプラ、(時の流れを感じる)薬の店になっていました。 |
17.04.15.再編集 05.01.29裕・記編集 |
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05.01.22撮影 |
広島市西区己斐h本町1丁目を流れる八幡川に架かる「源左衛門橋」 |
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05.02.19撮影 |
コンクリート桁橋ですので昔の石橋の面影はありませんが (山の上に旭山神社が見えます) |
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05.01.22撮影 |
西詰親柱の橋名板「源左ヱ衛門橋」をみました |
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05.01.22撮影 |
旧西国街道東側から(山口へ至る道)みました |
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10.04.06.撮影 |
10.04.06.撮影 |
「源左ヱ衛門橋」 |
東詰親柱の橋名板をみました |
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17.02.16.撮影 |
(下流側より少し離れてみました) |
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17.02.16.撮影 |
東詰からみました(2005年ポプラだった店が、くすりの処方箋の店に変わっていました) |
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