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西区己斐西町の旭山神社から見る「己斐の町並み」をこの頁で取り上げました。 |
旭山神社は、己斐一円の守護神産土神として崇敬されております。
1555(弘治元)年10月厳島合戦の折、毛利元就(1497-1571)公が当神社に戦勝祈願の為詣でた際、山上から差し昇る朝日を拝み、士氣大いにあがり「旭山八幡宮」と称するようになったと申し伝えます。又毛利輝元(1553-1625)公が広島城築城の下見にあたり登った山がこの旭山であったということです。 |
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旭山神社の由緒板に上記のような記述がありましたので、毛利輝元になったつもりで見渡し、撮影しました。
もっとも戦国時代はこの前は海(広島湾)が広がっていたでしょうから、いまのように街並みをみたわけではないのでしょうね。また、ここ旭山(神社)からもみたでしょうが、神社の裏側(北側に)あったという己斐古城の辺りからみて、広島城築城の位置などを検討したのでしょうが。 |
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関連頁:己斐古城からみる広島の街並み、(築城の下見をしたという)見立て山からみる広島の街並み |
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2005年参拝した時は下から旭山をみあげあそこに神社がと思って撮影しました。それ以来何度か参拝し、己斐の町をみた事もありましたが撮影していませんでした。
2012年に撮影していました。撮影画像の整理をしている2015年のいまになりましたがこの頁を編集しました。 |
15.03.22.裕・記編集 |