岩原城跡(己斐古城跡)
  西区己斐西町旭山に過って築かれていたという「岩原城・跡」を取り上げました。
※岩原城は、己斐古城ともいわれます。(∵己斐新城に対して言われます)
岩原城
岩原城の堀は空掘で本丸の西北に一本あり、城地と尾根を分断しています。
 本丸をおりて背後にまわると、すぐうしろに広い堀状のところがあります。そこが、空堀の跡です。
広島市立己斐中学校
種別:中世山城
住所:西区己斐西町
己斐古城跡
この山城跡は、自然地形を巧く利用し、地面を平らに加工したり(郭=くるわ)深く掘り込んだり(堀切)するなど防御を固める様々な工夫を施して造られています。このような山城跡は、広島市内から200近く見つかっていますが大部分は戦国時代(1467〜1578)を中心とした時期に造られたものと考えられ、大小の山城がそれぞれの領地を取り囲むように配置されています。
この山城跡の場合は、太田川河口の西端、眼下に広島湾を出入りする船舶を監視することのできる絶好の位置に造られており、当時は麓まで海岸線がせまっていたものと考えられますので、船着場を伴った水軍城であったかもしれませんね。城主等の記録は残っていませんが、急斜面に造られた数多くの郭が当時の面影をしのばせてくれます。
本丸は城郭をなす松山のほぼ中央に位置し、二の丸・帯曲輪・小帯曲輪・竪堀等の遺構が認められる。後に造られた平原城と併せて己斐城と呼ばれた。
2005年交流ウォークで訪ね撮影したのでこの頁を編集しました。 
06.10.20更新     05.01.31裕・編集

06.10.04撮影
広島市西区己斐西町旭山 (岩原城跡をみる)

06.10.04撮影
己斐中方面から岩原城跡をみる

05.01.22撮影
岩原城・二の丸跡から広島湾をみる(昔は山の麓までが広島湾であったろうと・・・)

05.01.22撮影
岩原城・二の丸跡から現在の広島中心方向をみる

05.01.22撮影
本丸跡から宮島をみる (二の丸が本丸より高い所にある)
(くるわ)
曲輪;郭;廓:
1)城壁や堀、自然の崖や川などで仕切った城・館内の区画。
{ 2)周囲を囲いで限られ、遊女屋が集まっている地帯。遊郭。遊里。さと。}
(かく)
郭:
1)城、とりで、都などのかこい。くるわ。
(とりで)
砦;塁;寨:
1)本城から離れて設けられた小さい城。規模の小さい城。
2)外敵を防ぐために築造した建造物。要塞。



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