(被爆建物) こうさいじ
光西寺
  西区己斐中に創建されている「法輝山(ほうきざん)光西寺」です。
浄土真宗本願寺派に属し、本尊は阿弥陀如来です。宝永元(1704)年僧・智境により開基。
智境は、はじめ西向寺(細工町)にいましたが、己斐の帰依者の勧めにより廃寺になっていた教徳坊をおこし、ここに移して寺をたてました。
文久2(1862)年、本願寺宗門となりました。
「光西寺」の寺号公称許可は明治12(1879)年。現本堂の建立は、明治43(1910)年旧・木挽町の西福寺の建物を移築したものといわれています。
昭和55(1980)年3月 己斐公民館・己斐の歴史研究会
資料によると、(原爆被害は)山の陰で大きな被害は」なかったそうです。
    爆心地から≒2930m  被爆当時町名:己斐町
光西寺本堂(爆心地から約2.93km)  「世の中安穏なれ 仏法ひろまれ」 2005(平成17)年3月 光西寺
  1911(明治44)年に建てられた光西寺本堂は、1945(昭和20)年8月6日原爆の強烈な爆風により大きな被害を受けましたが、倒壊は免れました。
被爆後、寺には避難してきた多くの負傷者が殺到しましたが、ほとんど手当を受けることができませんでした。また、本堂に入りきらない被爆者が寺の前の道にもあふれるという惨状でした。
被爆当時、己斐の町は爆心地からの距離にして、近いところで2km、遠いところで5.2kmでしたが、ほとんどの家は3km以内に集中していましたから、熱線を浴びた人は火傷を負い、猛烈な爆風を受けて全半壊した建物の下敷きになった人もいました。火災も発生したようですが、市の中心部のように延焼ににいたらなかったのは、警防団の懸命な消火活動と被爆後に降った黒い雨があったからでしょう。
また、己斐国民学校にも負傷者した多くの被爆者が運ばれ、多くの方が亡くなられています。
あの日の事は、体験された人々の心に生涯刻み付けられて、「もうニ度とあのようなことがあってはならない」と願っておられます。被爆体験を家族にも詳しく話さない人が多くおられます。そこに潜む沈黙を私たちは聴き手となって受け取りたいと思います。体験していない者には届かないところにある被爆者の記憶、生き残った人たちが死者の遺した想いに寄り添って生きてきたように、私たちは原爆の犠牲となられた人たちの想いに心を寄せて、次の世代に受け継いでいかなければならないでしょう。
ここ光西寺の建物も原爆を体験し生き残った被爆継承の証のひとつであります。
2005(平成17)年地域の方々の善意と広島市被爆建物等保存・継承事業の助成により、本堂屋根の修理が実施され被爆の惨禍を後世に伝えています。
* 本堂が建てられた年代が、お寺の説明板と己斐歴史研究会の説明板で1年ですが違っています。
2011年10月末、ご住職に直接伺いました。
『1910(明治43)年に移築して、1911(明治44)年に完成という事です』と教えていただきました。
2005年1月交流ウォークで、(わたしは)はじめて訪ねました。丁度、屋根工事が成されていました。
2010年交流ウォーク下見の時訪ねると、お寺の前の家が撤去され空き地になっていましたので、補修工事が成された屋根を含めたお寺の外観が撮影できましたので撮影しました。
また、被爆継承の証であることを切々と語っている説明板が設置されていましたので、追記し頁を再編集しました。
2012年訪ねた時は御住職がおられましたので本堂内部を撮影させていただいていました。撮影画像を整理している2015年のいまになりましたが、この頁を更新しました。
15.03.16.更新   11.09.03再編集    05.02.04.裕・編集

05.01.22.撮影
広島市西区己斐中2-23-3  

05.01.22.撮影
本堂
屋根の工事をされていましたが、見学中、工事の手を止めていただきました

10.04.06.撮影
お寺の前の住宅が解体され更地になっていましたのでお寺全体を撮影しました

10.04.06.撮影

12.04.21.撮影
(蓮如上人御影掛軸+左脇壇)、須彌檀(本尊:阿弥陀如来像)、(右脇脇壇+親鸞聖人御影掛軸)

10.04.06.撮影
山号額:法輝山  明治四十四(1911)年十一月 文學博士 前田慧雲(1857-1930)書

05.01.22.撮影
紅梁の上に三体の僧侶の彫物をみました

05.01.22.撮影
木鼻にゾウの彫刻が施されていると思いましたが、獏(バク)の彫刻だそうです
こうりょう
紅梁
社寺建築に用いる、やや反りを持たせて造った化粧梁。
かしらぬき
頭貫
柱と柱を上部でつなぐために柱の頭部に用いる横木。
きばな
木鼻
社寺建築で、頭貫(かしらぬき)などの端が柱から突き出た部分。多く、装飾として象や貘(ばく)などに似せた彫刻が施され、象鼻・貘鼻・拳鼻(こぶしばな)などと呼ばれる。
ばく
貘;獏
2)中国の想像上の動物。体形は熊に、鼻は象に、目は犀(さい)に、尾は牛に、足は虎に似るという。人の悪夢を食うという。
※象(耳が大きく)、獏(耳が小さ)とは耳で見分けると教えていただきました。

1)奇蹄目バク科の哺乳類の総称。体長2〜3m内外。体形はカバに似る。鼻と上唇が結合して長く伸びる。体毛は短く疎生する。密林の水辺に生息し、木の実などを食う。中南米に分布するアメリカバク、東南アジアに分布するマレーバクなど。



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