れんしょうじ
蓮照寺

  西区己斐中に建てられている「清原山 錬照寺」です。
※蓮照寺本は、堂1945(昭和20)年8月6日爆心地から≒2,750mで被爆した建物です。
清原山(せいげんざん)蓮照寺は、浄土真宗本願寺派のお寺です。
1717(享保2)年僧恵玉によって開山されました。恵玉和尚は、安佐郡長束村真宗蓮光寺弟子俗名寺尾源二で、己斐村民の帰依する者多く、その勧めにより村内に一宇を建立したのが隠寺であったと伝えられているそうです。
1671(明治4)年本願寺より蓮照寺の称号許可、1879(明治12)年寺号公称を県より許可を得ました。山号「清原山」は(当時の)高田郡向原町戸島に在る正善寺第15世住職清原得量和尚が蓮照寺の住職となったのを機に山号となったと伝えられています。現在の本堂は1914(大正3)年3月建立されました。
人類史上最初の原子爆弾が1945(昭和29)年8月6日午前8時15分広島市中心部の上空約600mでさくれつし、一瞬のうちに街は焦土と化しました。この地域(旧己斐町)は原爆による焼失を免れたものの1913(大正2)年※に建立された蓮照寺本堂はその強烈な爆風を受けました。
戦後裏山の崩落による被害や、老朽化に伴う修復を重ねてきましたが、いよいよ痛みが激しくなり、2006(平成18)年門信徒並びに地域の方々のご懇志と広島市被爆建物等保存・継承事業の助成により、被爆の惨禍を後世に伝えるため蓮照寺・本堂の保存工事を実施しました。
原爆の爆風により屋根、天井、建具が破損。保育園の園児一人が吹き飛ばされて死亡したそうです。
爆心地から≒2750m (被爆当時:己斐町)
現在は、本堂・庫裡がありますが、山門・鐘楼はありません、鐘は戦時中供出したままで、鐘楼は被爆倒壊したままで再興されてないそうです。
2005年訪ね撮影し頁を編集していました。2010年交流ウォーク下見の時に訪ねると「蓮照寺本堂修復工事」記念碑が建立されていました。碑文に本堂建立1913年とあり、わたしが参考にしている資料と違っていましたが、竣工と落慶が日を異にしているのかもしれないと思いました。2010年に撮影した画像と差し替えたりして、この頁を再編集し、部分的なものは別冊で編集したいと思っています。
15.05.30.更新    11.04.23再編集   05.02.04裕・記編集

05.01.22.撮影

10.04.06.撮影 
広島市西区己斐中2-20-24

05.01.22.撮影

05.01.22.撮影

10.04.06.撮影

10.04.06.撮影
本堂

15.05.28.撮影



広島の神社寺院」編



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蓮照寺
(蓮照寺)木鼻など、鬼瓦モニュメント


被爆した建物・構築物」編


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