人類史上最初の原子爆弾が1945(昭和29)年8月6日午前8時15分広島市中心部の上空約600mでさくれつし、一瞬のうちに街は焦土と化しました。この地域(旧己斐町)は原爆による焼失を免れたものの1913(大正2)年※に建立された蓮照寺本堂はその強烈な爆風を受けました。
戦後裏山の崩落による被害や、老朽化に伴う修復を重ねてきましたが、いよいよ痛みが激しくなり、2006(平成18)年門信徒並びに地域の方々のご懇志と広島市被爆建物等保存・継承事業の助成により、被爆の惨禍を後世に伝えるため蓮照寺・本堂の保存工事を実施しました。 |
原爆の爆風により屋根、天井、建具が破損。保育園の園児一人が吹き飛ばされて死亡したそうです。 |
爆心地から≒2750m (被爆当時:己斐町) |
現在は、本堂・庫裡がありますが、山門・鐘楼はありません、鐘は戦時中供出したままで、鐘楼は被爆倒壊したままで再興されてないそうです。
2005年訪ね撮影し頁を編集していました。2010年交流ウォーク下見の時に訪ねると「蓮照寺本堂修復工事」記念碑が建立されていました。碑文に本堂建立1913年とあり、わたしが参考にしている資料と違っていましたが、竣工と落慶が日を異にしているのかもしれないと思いました。2010年に撮影した画像と差し替えたりして、この頁を再編集し、部分的なものは別冊で編集したいと思っています。 |
15.05.30.更新 11.04.23再編集 05.02.04裕・記編集 |