(福蔵寺の)源範頼の廟

  西区古江上の福蔵寺に建立されている「源範頼の五輪塔」です。
源範頼のお墓については尾ひれが付いた話があり、広島にもその伝承があるのです。
西区古江上の福蔵寺(以前の境内だった処が広島学院学校建設予定地になり、移設して現在の場所になった)を今回(2005年2月)交流ウォークのとき教えていただいたのです。
その時、佐伯区の方にもあると知ったのですが。
源範頼終焉の地に関して、
伊豆市・日枝神社下にあった信功院に墓があり(信功院は徳川時代に廃止され)現在は庚申塔一本を残している。
横浜市金沢区片吹・太寧寺境内にも伝源範頼墓があり、太寧寺の寺伝では「かねさは」の地迄逃がれて太寧寺に入って自害したとされ墓がある。
越前へ落ち延びてそこで生涯を終えたとの説、武蔵国吉見の吉見観音に隠れ住んだという説などもあるようです。
広島にお墓があるということは、兄頼朝の迫害にあい九州に逃れようとして、安芸で難破し、溺死してしまったということかららしいのです、ここ福蔵寺もその内の一つの地と云われています、また、 佐伯区広島工業大学キャンパスがある御曹子山にも葬られたとも聞いていました。
わたしにはよくわかっていません、NHKの大河ドラマ・義経も見ていませんし、範頼の事も知りませんでした。
05.03.07裕・記編集

05.02.19.撮影
広島市西区古江上1‐659 福蔵寺

05.02.19.撮影
五輪塔   蒲冠者範頼(がまのかんじゃのりより)廟

05.02.19.撮影

05.02.19.撮影
(みなもとののりより)
源範頼:
(1156?-1193)
鎌倉初期の武将。義朝の六男。
遠江(とおつおうみ)蒲御厨(かばのみくりや)に成長したので蒲の冠者ともいう。
弟義経とともに源義仲を近江粟津に殺し、平家を一ノ谷・壇ノ浦に破った。義経没落後、頼朝にとりいったが伊豆修善寺で殺された。
(とおつおうみ)
遠江;
〔琵琶湖を「近つ淡海(おうみ)」というのに対して、都から遠い湖の意〕浜名湖。
また、遠江国(とおとうみのくに)。
(はまなこ)
浜名湖:
静岡県南西部にある湖。面積約69ku。1498(明応7)年の地震に伴う津波で今切(いまぎれ)口が生じ、遠州灘と通じて汽水湖となった。ウナギの養殖で知られる。



「広島ゆかりの人たちのお墓」編



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