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西区古江上の福蔵寺に建立されている「源範頼の五輪塔」です。 |
源範頼のお墓については尾ひれが付いた話があり、広島にもその伝承があるのです。
西区古江上の福蔵寺(以前の境内だった処が広島学院学校建設予定地になり、移設して現在の場所になった)を今回(2005年2月)交流ウォークのとき教えていただいたのです。
その時、佐伯区の方にもあると知ったのですが。 |
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源範頼終焉の地に関して、 |
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伊豆市・日枝神社下にあった信功院に墓があり(信功院は徳川時代に廃止され)現在は庚申塔一本を残している。 |
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横浜市金沢区片吹・太寧寺境内にも伝源範頼墓があり、太寧寺の寺伝では「かねさは」の地迄逃がれて太寧寺に入って自害したとされ墓がある。 |
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越前へ落ち延びてそこで生涯を終えたとの説、武蔵国吉見の吉見観音に隠れ住んだという説などもあるようです。 |
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広島にお墓があるということは、兄頼朝の迫害にあい九州に逃れようとして、安芸で難破し、溺死してしまったということかららしいのです、ここ福蔵寺もその内の一つの地と云われています、また、
佐伯区広島工業大学キャンパスがある御曹子山にも葬られたとも聞いていました。 |
わたしにはよくわかっていません、NHKの大河ドラマ・義経も見ていませんし、範頼の事も知りませんでした。 |
05.03.07裕・記編集 |