ふくぞうじ
福蔵寺

  西区古江上に建てられている「出生山・福蔵寺」です。
創建の時代は不明。一説には奈良時代の僧・行基(ぎょうき)の創建といわれています。
浄土宗のお寺で、江戸時代より山号を出生山と称しています。
高須の旧国道に置かれている延命地蔵は、妊婦を守護する仏として約300年前より信仰されており、江戸時代中期には、広島城下の人々の参詣で賑わい門前に市をなしたと伝えられています。
現在の本堂は、1987(昭和62)年に鉄筋コンクリート造で再建されたものです。
また、境内には、源平の戦いで活躍した蒲冠者(がまのかんじゃ)源範頼(みなもとののりより:?-1193:義経の兄)のものと伝えられる五輪塔があります。
鐘楼は1905(明治38)年竣工で、1927(昭和2)年竣工の庫裏と共に被爆し、1985(昭和60)年4月改修工事が施されています。
(鐘本体はありません、恐らく戦時中に供出されたと思われます。
 爆心地より≒4,200m (被爆当時町名:古江町)
福蔵寺の被爆した庫裏と鐘楼が老朽化のため解体され、広島市の被爆建物台帳から2016年8月31日付で登録抹消されたと発表されました。
※広島市は爆心地からおおむね5km以内で被爆した建物を「被爆建物」と呼んでいます。
以前(わたしは)この近くで仕事をしたというのにこのお寺をまったく知りませんでした、ただこの近くに昭和30年代まで火葬場があったことだけは聞いた事がありましたが。
2010年になって古田公民館で「ふるた遊友まっぷ」を頂いたのです。
まっぷをみているときに、お寺の前に建っている「由縁齋(ゆえんさい)碑銘」の紹介があったのです。『由縁齋は江戸時代、狂歌の名人で大坂の人だということと、広島でも狂歌が盛んになった』と記述があったのです。(わたしは)まったく見当違いをしていましたので訂正すると共に被爆した建物などの項目を別頁にしました。
10.05.11訂正、頁分離編集  05.03.07裕・記編集

05.02.19.撮影
広島市西区古江上1‐659

05.02.19.撮影

05.02.19.撮影
本堂、本尊阿弥陀如来

05.02.19.撮影

10.05.08.撮影

10.05.08.撮影
由縁齋碑銘  旧階段のささら石
明治三拾八年一月
定礎板
昭和六拾弐年壱月拾参日
(ゆえんさい・ていりゅう)
油煙斎貞柳:
(1654-1734)
江戸時代の狂歌作者。大坂の人。永田氏。名は良因、のち言因。通称は善八。家号は鯛屋。号は由縁斎、信乗軒、精霊洞,霜露軒、珍菓亭、又生庵,鳩杖子、長生亭など。
家は代々禁裡御用を勤めた菓子商。父は山城大掾貞因といい歌学を松永貞徳に、俳諧を安原貞室に学び、狂歌も好んだ。叔父は俳人花実庵貞富、弟は浄瑠璃作者として有名な紀海音である。
貞柳も和歌や俳諧を好んだ。 寛文12(1672)年『後撰夷曲集』に8首入集,延宝7(1679)年『銀葉夷歌集』に23首入集して,狂歌に頭角を表す。
(ひめい)
碑銘:
 石碑に刻みつけた文章。

05.02.19.撮影

10.05.08.撮影
被爆した鐘楼 被爆した庫裏



広島の神社仏閣」編


「被爆した建物・構築物」編



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福蔵寺
被爆した鐘楼・庫裏
(境内の)源範頼廟
(境内の)忠魂碑
(境内の)六地蔵尊
(参道の)上の地蔵尊
(参道の)下の地蔵尊


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