(古江)新宮神社

  西区古江東町に鎮座している「新宮神社」です。
広島県神社誌には設置の由来板(下記)と異なった由緒が記述されています。
現在の小丘は、往古は海に突き出た岬だったと云う。神功皇后が朝鮮出兵の帰途、岬の突端にあった岩洞に仲哀天皇の御遺骸を安置され、黄泉の邪気を退ける為、ここに小祠を建立し事解男命をお祀りされたのがこの神社の創祀と云い伝えられている・・・』とあります。
御祭神
正殿: 伊邪那美命
泉津事解男命
いざなみのみこと
よもつことさかおのみこと
相殿: 大日霊女命
品陀和気命
須佐之男命
おおひるめのみこと(天照大御神)
ほんだわけのみこと (應神天皇)
すさのおのみこと(荒神)
新宮神社由来                      (資料は神社設置の由来版を参考にしました)
新宮神社は南北朝時代の延文年間(1356-1361)に紀伊国熊野三所権現(本宮、新宮、那智社)のうち新宮社を勧請し「光延の新宮大明神」として、現在の位置に鎮座されたのが起源である。
祭神は泉津事解男命である。
わが国の神様は、天照大御神を初めとして、伊邪那諾命と伊邪那美命との間に生まれられた神が多く、泉津事解男命もその中の一人ですべての邪気を払いのける神として祭られる。
熊野三所権現は前記の諸神を祭ったところであって、早くから諸国にその名が知られていた。古江の新宮神社は古くから泉津事解男命だけを祭り、明治初年に至り伊邪那美命を加えて祭神を二座とした。
新宮大明神は古江中郷の氏神であり、その外に向原(あちばら)の氏神としては油免(ゆうめん、現在の古田小学校敷地の一部)に八幡宮があって品陀和気命を祭り、また中郷の朝日山に大日社があって大日霊女命と須佐之男命とを祭っていたが、明治40(1907)年県の指令により、後の二社を相殿として、新宮神社に合祀された。
新宮神社は明治8(1875)年村社に列格されたが、昭和28(1953)年法令改正によって「宗教法人新宮神社」として容認された。社殿造営については、寛保元(1716)年以降の諸社造営帳によれば安政3(1856)年に正殿、幣殿、拝殿が造営され慶應元(1865)年に三殿が再興されたが、平成2(1990)二月火災に遇い三殿が全焼し平成3(1991)年十月再建した。
2005年交流ウォークで訪ね撮影しましたのでこの頁を編集しました。
2010年参拝しましたので拝殿を撮影しましたので加えました。
10.05.12更新    05.03.07裕・編集

05.02.19撮影
広島市西区古江東町4

05.02.19撮影

05.02.19撮影
社殿 本殿:三間社流造、銅板葺、平成3年再建

10.05.08撮影

05.02.19撮影

05.02.19撮影
狛犬 明治廿三(1890)年
こまいぬ
狛犬
 高麗(こま)の犬、の意
神社の神殿や社寺の前庭に置かれる一対の獅子に似た獣の像。
ライオンを基に形象化されたもので、初めは犬に似ていたが、平安末期に獅子に近い形になった。こま。

05.02.19撮影

10.05.08撮影
昭和御大典記念(幟立用)石柱 標柱



広島の神社仏閣」編



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(古江)新宮神社
  昭和御大典記念・幟立石柱


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