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西区草津東に建てられている「普門山(ふもんざん)慈光寺」です。
※205年当時は本堂、妙見堂など被爆した建物がありましたが、新築されたり、解体されました。
※2010年現在広島市登録の被爆建物は山門だけになっています。 |
慈光寺は日蓮宗のお寺で、本尊は久遠実成本師釈迦牟尼佛(くおんじつじょうほんししゃかむにぶつ)です。
文安4(1447)年古江村ウサギ山草津城そば慈光寺畑に禅宗寺院として創建。海蔵寺の末寺であった慈光寺を元禄14(1701)年普門院日周上人が譲りうけて日蓮宗に改宗、翌(1702)年11月、三次公儀の許可を得て堂宇を現在地に移り、日周上人開山、日蓮宗普門山慈光寺を創始されました。
通称「草津の妙見さん」とよばれている海中出現開運北辰妙見大菩薩は、宝永7(1710)年筑前博多浦船頭元右ヱ門船が芸州広島へ渡航の折、長州豊浦沖海中から出現したという霊験あらたかな尊像で、妙見堂の安置。厄除け・病気平癒・入学・交通安全・安産などご祈祷寺として親しまれています。
境内には神仏習合時代に見られた石の鳥居がいまに残っています。 |
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「草津まちづくりの会」の説明板 |
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資料を見ていたら被爆建物として紹介がありました、1945(昭和20)年8月6日(月)被爆直後から多くの被災者が避難してきたそうです。 |
爆心地より≒4,930m (被爆当時町名:草津本町) |
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※広島市は爆心地からおおむね5km以内で被爆した建物を「被爆建物」と呼んでいます。 |
2005年(わたしが)はじめて訪ねた時は被爆した建物であった本堂などが残っていましたので被爆建物としての視点で慈光寺のこの事を編集していました。
2008年に被爆建物であった本堂他が解体されて新しくなり、被爆建物としては山門だけとなりましたので新しくなった慈光寺、被爆建物・慈光寺を別冊で編集する事にしました。 |
10.05.23更新 05.05.24裕・編集 |
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05.03.19.撮影 |
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05.03.19.撮影 |
05.03.19.撮影 |
神仏習合の名残の鳥居・文政十二(1829)年已丑正月吉日 (現在このはありません) |
*神仏習合≒日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰 |
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05.03.19.撮影 |
(こちらの鳥居はだけ残されています) (以前の)本堂は元禄13(1700)年竣工だったそうです。 |
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10.05.01.撮影 |
新しくなった本堂 |
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07.06.06.撮影 |
妙見堂(現在は解体されありません) |
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(みょうけんぼさつ)
妙見菩薩: |
北斗七星を神格化した菩薩。
国土を守り幸福をもたらすといい、日本では特に眼病の治癒を祈る修法(妙見法・北斗法)の本尊とする。像は二臂(にひ)または四臂で雲や竜に乗る。尊星王。北辰菩薩。 |
(ひじ)
臂=肘=肱: |
上腕と前腕とをつなぐ関節。また、その折り曲げたときの外側の部分。 |
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