さぎもりじんんじゃ
鷺森神社

  西区草津東に鎮座している「鷺森神社」です。
※1945(昭和20)年8月6日鷺森神社本殿は爆心地から4,930mで被爆した建物です。
御祭神  正殿:市杵島姫命 相殿:金比羅神
當社は天徳年間(957-960)の天徳4(960)年に勧請されたと伝えられており、爾来一千年余の歴史を有し元和年間(1615-1624)に市杵島姫命を勧請した御社である。
往古この一帯は海辺であり西方から延びる半島(城山)と背面の力箭山(行者山)に抱かれた湾内の東端に在り、漁船の船着場として栄え、海人(うみんど)達は日頃尊敬する。市杵島姫命をお祀りする鷺森神社を建て御祭神が女神なるがゆえに、弁天社と呼称し豊漁と海上の守護を祈願した。近世、干拓が進むに伴ない内陸の神社となり漁業との関わりはなくなったが、現在に町内鎮守社の一つとして、草津東町を中心に広く篤く崇敬が寄せられている。
 昭和63(1988)年9月吉日 鷺森神社宮司・渋谷建紀
社殿造営並びに修復紀
1714 正徳4年 神殿拝殿再建
1898 安政6年 拝殿再建
1870 明治3年 神殿再建
1895 明治28年 山陽本線敷設に伴い現在地に移転
1927 昭和2年 拝殿修復
1982 昭和57年 拝殿改修(原爆被害に加え老朽化による)
資料を見ていたら被爆建物として本殿は、木造で1870(明治3)年竣工と記載がありました。
               爆心地より≒4,930m   (被爆当時町名は草津本町でした)
広島県神社誌をみていたら『明治まで祀りの前夜、里人たちが炉火(ろか=囲炉裏の火)を持って「おおぼか、ちゅうぼか」と叫びながら付近を徘徊する火祭りの行事があったと云われ、それは大漁か?不良か?と舟々に尋ね呼び合った遺事と伝えられている』とありました。
2010年になって拝殿の内部を拝見していた時、神社由緒板に記述がある、(明治までは)弁天社と称していましたとある事を、再認識させられた「弁才天」の神社額が掛かっていました。
10.07.24更新   05.03.26裕・編集

05.03.19.撮影
広島市西区草津東3-1-6

05.03.21.撮影

05.03.19.撮影
山側をJR山陽本線が通る   拝殿

05.03.19.撮影

05.03.19.撮影
拝殿内部 本殿:一間社流造、銅板葺
金毘羅(ことひら)は金比羅、琴平、金刀比羅などとも書く。
サンスクリットのクンビーラ(Kumbhira)の漢訳で、ガンジス川に棲息する鰐(わに)の神格化した名で、仏法の守護神として薬師如来十二神将の一つで、宮毘羅(くびら)大将のことである。
鰐神は竜王(竜神)あるいは海神として海難祈願や雨乞いなど水に縁がある善神とされ、これが我国に垂迹して金比羅大権現となったものだそうです。
資料は川口謙二著『日本の神様事典』を参考にしました 05.07.15追記



広島の神社仏閣」編



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鷺森神社
  (被爆した建物)本殿
  (社殿の)木鼻、狛犬など彫物


(西区)草津附近」編


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