こうじんじゃ
幸神社

  西区草津東に鎮座している「幸神社」です。
幸神社と大銀杏
道教※1から流生し、わが国の神道、仏教を習合した民族信仰で「さんし説」※2に基づく庚申信仰であり、江戸時代に一般庶民に定着し、四百年の歴史がある。
境内の「銀杏の木」がそのまま歴史を伝えているが猿田彦之神で庚申さんから現在の「幸神社」に改名された。
 
この「大銀杏」現在は枝打ちされそれほど高くないが胴回り3.80m以上ある。さらに根は広がっており直線距離で約90mほど離れた広電草津駅の近くの御幸川の傍まで延びているとか(その近くの建物基礎工事の時に根が見つかったそうです)またこの大銀杏の幹の中に「宿木」があり、「いぬびわ」との事。幸神社が建立される前からあり樹齢は不明ですが400年以上あるとか。   草津まちづくりの会
(どうきょう)
道教:
中国固有の宗教。儒・仏と並ぶ三教の一。
不老長生をめざす神仙術と原始的な民間宗教が結合し、老荘思想と仏教を取り入れて形成されたもの。後漢末の五斗米道に起源し、のち次第に宗教の形を整え、中国の民間習俗に強い影響力をもった。
(ごとべいどう)
五斗米道:
中国、後漢末、張陵(ちようりよう)が蜀(四川省)で創始した宗教。また、その教団。
祈祷による治病を主とし、入門の謝礼に米五斗を出させた。孫の張魯(ちようろ)の時、一種の宗教王国を形成したが、215年曹操に降服した。その子孫は江西に移り代々張天師と称した。のちに道教の正一教(しよういつきよう)となる。太平道とともに道教の源流をなす。天師(てんし)道。
2005年訪ねたときは3月でしたが、2007年の時は6月で葉っぱも茂っていましたし何よりよく見ていなかった宿木も注意してみましたので、イチョウの頁を分離編集しました。
また、2007年12月宮島で訪ねた幸神社は「さいわい・じんじゃ」と同じ字でも読みが違っていました。
09.01.13更新   05.03.27裕・編集

05.03.19撮影
広島市西区草津東3‐6

05.03.19撮影

05.03.19撮影

05.03.19撮影
イチョウは大きくなると枝を伸ばし落葉がご近所に迷惑をかけるということでしょうかここ草津でも思いっきり刈り込まれていました、そういえば昨年「仁保地区」交流ウォーク時にもそんなイチョウを見たなと思いました。
たいへいどう
太平道
中国、後漢末、張角が組織した宗教結社。霊力のあるとされる符水を飲ませ、呪文によって病気を治し、河北・山東の農民に多くの信徒を得た。五斗米道とともに道教の源流。
さんし
三尸
道教で、人の腹の中にすむといわれる三匹の虫。
この虫が庚申の夜、人の寝ている間に天に昇って、その罪過を上帝に密告すると長生きできないという。
こうしんまち
庚申待
庚申の日に、仏家では帝釈天・青面金剛を、神道では猿田彦を祀って徹夜をする行事。
この夜眠ると体内にいる三尸の虫が抜け出て天帝に罪過を告げ、早死にさせるという道教の説によるといわれる。日本では平安時代以降、陰陽師によって広まり、経などを読誦し、共食・歓談しながら夜を明かした。庚申。庚申会。おさるまち。さるまち。
かのえさる
庚申
干支(60番中)の第57番目、こうしん。
たいしゃくてん
帝釈天
梵天とともに仏法の守護神。十二天の一で東方を守る。須弥山(しゆみせん)頂の利天(とうりてん)の主で喜見城に住む。ベーダ神話のインドラ神が仏教に取り入れられたもの。天帝釈。
しょうめんこんご
青面金剛
元来は、密教で、鬼病を流行させる鬼神。体は青色で、二本、四本または六本の腕があり、弓矢宝剣を握り、頭髪はさか立ち、体に蛇をまとい、足に鬼を踏んでいる。日本では、後世、庚申(こうしん)信仰に取り入れられ、庚申待の本尊となる。
さるたびこ
猿田彦
「さるだひこ」「さるたひこ」
記紀神話の神。天孫降臨に際して、その道案内をした。容貌魁偉で、鼻は高く、身長は七尺余。後世、庚申信仰や道祖神などとも結びついた。伊勢の猿田彦神社の祭神。
いんよう
陰陽
中国の易学でいう、宇宙の万物に働く相反する性格のもの。
天・男・日・昼・動・明などは陽、地・女・月・夜・静・暗などは陰であるという。おんよう。



「広島の神社仏閣」編



広島ぶらり散歩へ
(草津)幸神社
(幸神社の)イチョウ


草津附近」編


inserted by FC2 system