かいぞうじ
海蔵寺

  西区田方に建てられている「久遠山(くおんざん)海蔵寺」です。
※広島新四国八十八ヶ所霊場第七十四番霊場です。
※海蔵寺の本堂・山門は、1945(昭和20)年8月6日爆心地から4,950mで被爆した建物です。
海蔵寺は曹洞宗のお寺です。本尊:十一面観世音菩薩です。                   
海蔵寺は応永年間(1394-1427)中国の僧・慈眼禅師が力箭山(行者山)上に創建し、永正元(1504)年興雲宗繁を洞雲寺より迎え曹洞宗に改宗したと云われています。
毛利時代には毛利家家臣・草津城主児玉家の菩提寺となりました。
天文24(1555)年厳島合戦で毛利方の陣所に用いられ、天正16(1588)年7月毛利輝元(1553-1625)上京の時はここに宿泊し草津より出航しました。
浅野時代には、本家浅野藩の家老で東城浅野家の香火院(菩提寺)として明治初(1868)年まで続いています。
五日市町誌によると元治元(1864)年6月『蛤御門の変』では、広島藩の仲裁により幕府と長州の談判が開かれた処だそうです。大正15(1926)年の土石流で本堂半壊しました。
墓所には北条氏直や山中鹿之介の娘・盛江の墓があります。また庫裏山側には、元禄年間(1688-1704)に作庭された石組の庭があります。
※お寺の資料では応永3(1396)年と記載されています。
昭和20(1945)年8月6日(月)原爆により、天保11(1840)年再建された本堂は爆風で軒から上が持ちあがり本堂が傾く等の被害を受けたにも関わらず、多くの被災者の避難場所となったそうです。
爆心地より≒4,950m (被爆当時町名:古田町)
戦後屋根裏の垂木補修やずり落ちた瓦を直すなどの応急修理が為されていました。
平成12(2000)年広島市被爆建物等保存・継承事業の助成などを受け、平成13(2001)年3月25日保存工事竣工しています。
2005年訪ね撮影し、この頁を編集しました。
2008年9月28日宮島沿線のお寺を広電1日フリー切符で、わたしの“広島新四国八十八ヶ所霊場巡礼スタンプラリー”も満願には程遠くとも期間があるので、このお寺で終わりと決めていた海蔵寺でした。
手を合わせ本堂を撮影し、スタンプを押し、スタンプ数の確認をしていただこうと庫裡の方に行こうとしたときご住職が帰ってこられ「スタンプ数確認印」をいただきたいとお話したのです。
その時、若きご住職は確認院を押してもかまいませんが、期間が延長になったので、1ヶ寺でも2ヶ寺でも時間を見つけて回られたらどうでしょうかと云ってくださったのです。門徒でもないわたしに掛けてくださった言葉は温かかなものでした。
09.05.09更新   05.03.28裕・記編集

05.03.19.撮影
広島市西区田方1-1-3

05.03.21.撮影

05.03.21.撮影
一畑薬師如来 山門:深省楼

05.03.21.撮影
本堂

05.03.19.撮影

08.09.28.撮影
本堂内部

05.03.21.撮影

05.03.21.撮影
北条氏直の墓 元禄年間に作庭された石組の庭



「神社寺院など」編
(「広島新四国八十八ヶ所霊場」編)


被爆した建物・構築物」編



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海蔵寺
北条氏直の墓
山中鹿之助二女盛江の墓
元禄年間に作庭された石組の庭
(門前自生の)タブノキ


「(西区)草津附近」編


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