こうふくいなりじんじゃ
幸福稲荷神社

  西区草津本町に鎮座している「幸福稲荷神社(稲生神社)」です。
※幸福稲荷神社社殿は、1945(昭和20)年8月6日爆心地から≒5,060mで被爆した建物です。
この頁では、(広島市設置の被爆建物標識は「稲生神社」としていますが)
草津まちづくりの会が云っている「幸福稲荷神社」を採用して編集しました。
爆心地からの距離も(広島市設置の被爆建物標識は5,000mとしていますが)
平和資料館発行「ヒロシマの被爆建造物は語る」の5,060mを採用しました。
御祭神: 宇賀之御魂命(うがのみたまのみこと)※
建徳元(1370)年村内に火事が多く発生し村民一同困り果てていた。建徳3(1372)年秋村民一同申し合わせて小祠を建立し勧請お祈りしたところ、霊験きわだって表れその翌年より新たに火事が発生しなかったという。その後毛利氏の武将児玉氏草津城主時代(1554〜1600)吉和屋(山中鹿之助二女娶りし草津の長者)の所有になったがこの社は村の守護神として皆の尊敬信仰を集めていた。
延宝6(1678)年三次浅野支藩の御茶屋敷が建てられたがこの社は依然として境内の鎮守だった。その後、享保4(1719)年御茶屋敷廃止後も村内の信仰は高まり明治維新後殿堂を改修境内も拡張し益々村民の信仰は高まっていった。
昔から今まで霊験極めて広大にして疾病平癒、五穀成就、商漁繁栄、縁談待人失物等祈れば必ず物事成就ご利益があったと伝えられている。
                                 
草津まちづくりの会
うがのみたま
宇迦之御魂

宇賀之御魂
=倉稲魂;稲魂 〔後世「うが」と濁音〕
稲の穀霊を神としてあがめたもの。のち、五穀をつかさどる神とされた。伊勢神宮外宮の祭神、豊宇気姫命の別名。また、稲荷(いなり)信仰の祭神。うけのみたま。
被爆時の名称:稲生神社(Inari Shrine)
(爆心地から5,000m)
この社殿は、昭和20(1945)年8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に残しています。                      広島市
資料によると、社殿の竣工時期不詳で、被爆建物であると記載があります。
爆心地より≒5,060m     被爆当時町名も草津本町
2005年交流ウォークの時(わたしははじめて)この幸福稲荷神社を訪ね、参拝し、撮影しました。資料で被爆建物と知っていましたのでこの頁を編集しました。
2010年交流ウォーク下見で訪ねた時、広島市設置の被爆建物のプレートが取り付けてありましたので撮影しました。プレートには爆心地から5,000mと刻まれていましたが、わたしは資料にある爆心地より≒5,060mを採用しています。広島市は爆心地からおおむね5km以内で被爆した建物を「被爆建物」と呼んでいますので、概ねというものの5kmを越えている事を気にしているのではと(わたしは)思っているからです。
12.03.26再編集   05.03.30裕・編集

05.03.21.撮影
広島市西区草津本町14-12

05.03.21.撮影

10.05.01.撮影

10.05.01.撮影
本殿

05.03.21.撮影
(薬師如来堂 と) 幸福稲荷神社の本殿



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