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西区草津本町の浄教寺の「被爆した(本堂屋根の)鬼瓦」が残され展示されています。 |
(被爆した)鬼瓦・鳥衾の話 |
江戸時代末期、安政年間(1854-1860)に作られたもので四国の「菊間瓦」といわれ「岩忠作」と銘が刻まれています。
この瓦は、昭和62(1987)年の本堂大修理の際に降ろされたものです。江戸、明治、大正、昭和と草津の歴史を見つめてきました。
上部の鳥衾は破損してありません。これは、昭和20(1945)年8月6日原爆の爆風によるものと伝えられています。 |
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「菊間瓦」は、愛媛県今治市菊間地方で、いまから750年以上も前に「いぶし瓦」の製造が始まり、瀬戸内式の気候は瓦の乾燥を早め、瀬戸内海で各地への海運が容易にでき、窯を炊く薪が近隣の山で調達できることも、瓦産業発展の追い風となったそうです。
海を渡り、草津港に荷揚げされ浄教寺に運ばれたのでしょうね。 |
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資料によると、安政年間(1854〜1860)竣工の本堂、原爆の爆風で屋根が破損したそうです。
爆心地より≒4980m、 被爆当時住所草津本町68 |
おにがわら
鬼瓦 |
大棟(おおむね)や降(くだ)り棟の端に飾る瓦。
獣面のほか蓮華文(れんげもん)などがあり、鬼面がなくてもいう。 |
とりぶすま
鳥衾 |
大棟または隅棟(すみむね)などの鬼瓦の上に、反って長く突き出した円筒状の瓦。雀瓦。 |
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鬼瓦に鳥が止まったり、糞をかけたりしないようにするため、鳥が止まる場所としてつくられたとも云われ、鳥衾は火事よけとして「船の帆」「水の波」など水に関係のあるものをつけていることもあるそうです。 |
げぎょ
懸魚 |
屋根の破風の中央および左右に下げて、棟木や桁(けた)の先端を隠す装飾板。
三花(みつはな)・蕪(かぶら)・梅鉢・猪(い)の目などがある。けんぎょ。 |
はふ
破風 |
切妻(きりづま)造りや入母屋(いりもや)造りの妻側にある三角形の部分。
また、その斜め部分に打ち付けた板。
形や位置によって、入母屋破風・唐破風・千鳥破風・切妻破風などがある。 |
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2007年交流ウォークで訪ねた時に、ここ浄教寺でも改修されたときにいままでの鬼瓦が降ろされ保存されているのだなと思ったのです。2010年交流ウォーク下見の時、説明板を読むと、鬼瓦の上の「鳥衾」がないのは、原爆の爆風で飛ばされた事を知りました。そういえば、いままで他のお寺で見てきた保存されている鬼瓦には、確かに鬼瓦の上に「鳥衾」がありました。
そこで、その鬼瓦の画像をこの頁に掲載しました。ここ浄教寺の鬼瓦には、説明板の図から、安佐北区の品窮寺の鬼瓦の鳥衾と同じような形式だったのだろうと(わたしは)考えました。 |
12.03.04裕・記編集 |