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西区草津本町に創建されている「故選山(こせんざん)教専寺」です。
※教専寺・本堂・経蔵は、1945(昭和20)年8月6日爆心地から4,990mで被爆した建物です。 |
教専寺は、浄土真宗本願寺派のお寺です。
草津に住していた那須七郎の曾孫が石山本願寺へ参詣し、顕如(けんにょ:本願寺第11世;1543-1592)上人の教えを受けて、武をすて僧となり住居を寺としたのがこの寺の始まりで、永禄4(1561)年僧の名を宗恕法師といわれています。
元和9(1623)年西楽寺、浄教寺と共に三人の僧が上山し正式に本願寺から寺号を授かり木仏をうけました。第六世理円は学僧として有名です。理円の師、知空能化の像が本堂内陣余間に安置されています。
現在の本堂は昭和11(1936)年に建替えられたもので、建替え前の建物は(安佐南区沼田町の)法隆寺の本堂として現存しています。現在の本堂の特徴は、向拝部の柱は二本ですがここでは四本の柱で支えられています。
経堂は、明治時代に建てられたもので、四面に龍の鏝絵が施されています。 |
草津まちづくりの会 |
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1936(昭和11)年竣工の本堂(木造、平屋)は、1945(昭和20)年8月6日原爆の爆風により壁板が割れるなどの被害を受けたそうです。
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爆心地より≒4990m 被爆当時住所:草津本町689 |
※広島市は爆心地からおおむね5km以内で被爆した建物を「被爆建物」と呼んでいます。 |
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被爆建物 A-bombed Building 被爆時の名称:教専寺 Kyosen-ji Tenp
爆心地から4,990m Approx. 4,990m from hypocenter
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本堂、経蔵は、昭和20(1945)年8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に残しています。 |
広島市 |
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2005年交流ウォークで(わたしは)はじめて訪ねたここ教専寺でした。草津街づくりの会説明板が設置されていましたので頁を編集できました。
資料をみて、ここ教専寺に原爆で亡くなった方々の供養碑が建立されている事を知り、2007年訪ねたのです。 |
2015年久しぶりに訪ねた教専寺でした。
「護法之碑」の周りがすっきりしているのが遠くからわかりました。近づきみるとバリアフリー用のスロープが護法之碑の横に新設された事で、碑の周りが整備されたようでした。
身障者にも対応した優しいお寺の設備と護法之碑が並んでいる事に(わたしは)このお寺の温かい心の一端をみたように思いました。
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2007年撮影した門前にはなかった、被爆建物の標識が設置されていましたので、門前を撮影しました。
2010年みた「沙漠ポプラ」大きくなっているかと楽しみにしていたのですが、枯れていました。しかし、手押しポンプに気が付き撮影しましたので別頁で編集します。
被爆した建物・経蔵の周りも整理され、みやすくなっていましたので、撮影し、この頁に加えました。 |
15.08.26.再編集 05.04.03裕・編集 |