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西区草津本町に掘られている井戸「(草津)大釣井」です。 |
この大釣井が、いつごろ掘られたものかわかりませんが慶長(1596-1615)の頃には漁民や町民の飲水や用水になっていたと思われています。
文政5(1822)年本固新開ができるまでは、現在の宮島街道付近は海であり、海岸の井戸は塩分が多く飲料水にならなかったので、この釣井は美味しい水が飲める共同の井戸であったと考えられています。
草津での大火は、宝暦から文化年間(1751-1818)の約50年の間に
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宝暦の大火 |
焼失238戸 |
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大公火事 |
焼失309戸 |
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作兵衛火事 |
焼失326戸 |
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勘兵衛火事 |
焼失270戸 |
と古文書に残っているそうです。
この(草津)大釣井は、防火用水として大きな力となったと思われます。大釣井地蔵さまは火災をなくすために祀られたといわれ、このお地蔵さまをお祀りしてから草津に大火がなくなったといわれています。 |
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2005年交流ウォークの時、願王地蔵堂と草津大釣井を(わたしは、はじめて)訪ねました。
この大釣井の後ろに説明板が設置されていて、江戸時代草津の街に大火がたびたび起こり火除のお地蔵さまと、消火にも利用されたというこの大釣井のことを知りました。
2015年訪ねた時、この辺りが海抜3.7mという事を知りました。南海トラフ地震ではここ瀬戸内海にも津波が来ると指摘されていますので町内会で知らせることにしたのでしょうね。 |
18.09.10.更新 12.03.14分離編集 05.04.04裕・記編集 |
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05.03.21撮影 |
広島市西区草津本町28 地蔵堂と釣井(同じ筋に位置しています) |
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05.03.21撮影 |
草津大釣井と(向こう側に)地蔵堂 |
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10.05.01撮影 |
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10.05.01撮影 |
(釣井の根際にスミレが咲いていました) |
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15.08.22.撮影 |
(北の方からみまし) このあたり海抜3.7m 本町町内会(設置) |
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15.08.22.撮影 |
(≒東北の方からみました) |
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