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西区草津南に鎮座している「福満稲荷(ふくみついなり)社」です。 |
正一位福満稲荷(ふくみついなり)とお地蔵さん
旧魚市場北にある二本松の場所に井久田家の屋敷があってここに福満稲荷が祀られていました。長州征伐の時、前線指令所として草津港が選ばれ屋敷の明渡しを命ぜられ疎開。長州征伐も終り疎開先から帰り草津港の角に開店しました。福満稲荷はそのまま二本松の下に祀られていましたが、終戦後現在の位置に奉斎したものです。
この「お地蔵さん」のルーツは不明だが古老から聞くところ宮島にいた相撲取りの守り本尊ともいわれます。それで宮島さんに縁の深い十七日が祭日です。このお地蔵さんの台石に島ヶ谷、小西川、衛宮錦など相撲に縁の深そうな姓名が彫り込まれています。 草津まちづくりの会 |
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ちょうしゅ
せいばつ
長州征伐 |
幕末、江戸幕府が二度にわたり、長州藩を攻めた戦い。
幕府は蛤御門の変を理由に、1864(元治元)年長州へ出兵したが、外国の連合艦隊の下関来襲で危機に立っていた長州藩が恭順したので戦わずに撤兵。のち、長州藩首脳のこの処置に不満を抱いた高杉晋作(1839-1867)らの強硬派が恭順派を一掃、幕府に対抗する姿勢を示した。幕府は1866(慶応2)年長州再征を行ったが敗退し、撤兵。以後、幕府の権威は急速に失われた。 |
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2005年交流ウォークの時に案内していただいた福満稲荷社と地蔵堂でしたので、一緒に編集していました。
2010年訪ね参拝し、お参りした時に、福満稲荷社と地蔵尊それぞれの頁にしようと再度撮影していました。北側にあった民家が2010年の時はグループホームになっていたりと、時は移っている事を思いながら撮影しました。 |
11.10.24再編集 05.04.05裕・記編集 |