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西区草津南に祀られている「地蔵尊」です。 |
正一位福満稲荷(ふくみついなり)とお地蔵さん
旧魚市場北にある二本松の場所に井久田家の屋敷があってここに福満稲荷が祀られていました。長州征伐(1次1864年、2次1866年)の時、前線指令所として草津港が選ばれ屋敷の明渡しを命ぜられ疎開。長州征伐も終り疎開先から帰り草津港の角に開店しました。福満稲荷はそのまま二本松の下に祀られていましたが、終戦後現在の位置に奉斎したものです。
地蔵堂は、1910(明治43)年7月に創建され、現在のお堂は1916(大正5)に建てられたものだそうです。この「お地蔵さん」のルーツは不明ですが、古老から聞くところ宮島にいた相撲取りの守り本尊ともいわれます。それで宮島さんに縁の深い十七日が祭日です。このお地蔵さんの台石に島ヶ谷、小西川、衛宮錦など相撲に縁の深そうな姓名が彫り込まれています。 |
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2005年交流ウォークの時に案内していただいた福満稲荷社と地蔵堂でしたので、一緒に編集していました。
2010年訪ね参拝し、お参りした時に、福満稲荷社と地蔵尊それぞれの頁にしようと再度地蔵堂を撮影する時説明板にある、台石に刻まれているという名前を探しましたが、探し方が悪かったのでしょう分かりませんでした。また、この地蔵堂の北側にあった民家が2010年の時はグループホームになっていたりと、時は移っている事を思いながら撮影しました。 |
18.09.12.更新 11.10.25分離編集 05.04.05裕・記編集 |