(草津浜町)胡子神社

  西区草津浜町に鎮座している「胡子神社」です。
※胡子神社本殿・拝殿は、1945(昭和20)年8月6日爆心地から5,040mで被爆した建物です。
祭神: 恵比須神  事代主神
由緒:文政5(1822)年に本固新開が出来たので大漁を祈るため当時の漁師一同申し合わせの上、えびす屋孫八、佐久間右衛門の自宅にあった御祭神を現在地を奉斎したものです。
この社は俗名「ゑべっさん」として町民に親しまれ創建当時から大漁福利をもたらす神として商家、農漁民に信仰されてきました。
一説によるともっと古く宝暦11(1761)年の書出帳に記載されており、漁戎(いさりえびす)の名を冠したようです。氏神八幡神社御神神輿渡御の際の御旅所の三の宮になっています。
草津まちづくりの会
被爆時の名称:胡子神社(Ebisu Shrine)
の社殿は、昭和20(1945)年8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に残しています。                     広島市
※広島市設置の被爆建物標識には爆心地から5,000mとなっています
資料によると、社殿は竣工時期不詳ですが被爆建物です。
爆心地より≒5,040m      被爆当時町名も草津浜町でした。
2005年交流ウォークの時(わたしははじめて)この草津浜町の胡子神社を訪ね、参拝し、撮影しました。資料で被爆建物と知っていましたのでこの頁を編集しました。
2010年交流ウォーク下見で訪ねた時、広島市設置の被爆建物のプレートが取り付けてありましたので撮影しました。プレートには爆心地から5,000mと刻まれていましたが、わたしは資料にある爆心地より≒5,040mを採用しています。広島市は爆心地からおおむね5km以内で被爆した建物を「被爆建物」と呼んでいますので、概ねというものの5kmを越えている事を気にしているのではと(わたしは)思っているからです。
境内に残されている「金刀比羅宮常夜燈」と刻んだ石柱から昔は「金刀比羅宮」と呼ばれていたのだとわかりました。
12.03.08再編集    05.04.12裕・編集

05.03.19.撮影
広島市西区草津浜町7-17

05.03.19.撮影

10.05.01.撮影
本殿:一間社流造、銅板葺

10.05.01.撮影

10.05.01.撮影

10.05.01.撮影
「金刀比羅宮常夜燈」 もやいいし(舫石:船をとめておく綱を結んでおく石)が遺されています



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