(草津東)龍宮神社

  西区草津東に鎮座している「龍宮神社」です。
※龍宮神社は、1945(昭和20)年8月6日爆心地から4,780mで被爆した建物です。
御祭神: 綿津見三神  三筒男命
由緒:正応元(1288)年勧請。当時漁獲量が減少しはじめ特にこの年大変な不漁に見まわれ漁民一同申し合せの上小祠を建立し勧請した処忽ち信仰が広がったと云われています。
一説によると寛文元(1662)年位後草津村に浜田藩船屋敷が設けられその鎮守神として境内に住吉社を祀り、御幸川潟の折曲がった所通称ドンドン(現在の広電草津駅附近)にあって漁民の信仰を集めたと云われています。この住吉社が龍宮神社の前身ですが埋立が進み海浜より遠くなったので明治4(1871)年現在地に遷し祀り、大門下東側にあった住吉社を合併し祀ったと云われています。
草津まちづくりの会
資料を見ていたら被爆建物として紹介がありました、本殿は、明治初期竣工といわれています。
爆心地から≒4780m     被爆当時町名は庚午町でした
2005年交流ウォークが終わってから被爆建物と資料を見ていたので訪ね参拝しました。 
07.09.29更新    05.04.12裕・編集

05.03.21.撮影
広島市西区草津東1-15-7

05.03.21.撮影

05.03.21.撮影
小橋勘太郎之碑 
小橋勘太郎について交流ウォーク藤井先生は、市議会議員だった人物のようですと云われていました。
NET検索で土建業者だったことがわかります。
昭和三十(1956)年度政府関係機関決算書(内閣提出)太田川の河川改修工事に伴う補償の質疑の中で補償費配分の不透明な草津関係者として名前が出ています。
法務省竹内壽平刑事局長が答ています。『・・・それからもう一人、小橋勘太郎という土建関係の業者がありますが、これの業務横領、あるいは恐喝という容疑で取調べを受けまして、業務横領の点は嫌疑なしという処分になりましたが、恐喝につきましては公判請求を受けておるのであります。』
小橋勘太郎氏のことはわたしにはわかりませんが、
揮毫した参議院議員岩沢忠恭の名前に目が止まり撮影しました。(南区)仁保の人で建設畑を歩んだ人なので小橋とのつながりがあったのでしょう。
10.12.09.更新    05.04.12裕・編集

05.03.21.撮影
広島市西区草津東1-15  龍宮神社南側建立

10.11.28.撮影
八幡川右岸から川越しにみました



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(草津東)龍宮神社
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