(草津東)龍宮神社

御祭神:  綿津見三神  三筒男命
由緒:正応元(1288)年勧請。当時漁獲量が減少しはじめ特にこの年大変な不漁に見まわれ漁民一同申し合せの上小祠を建立し勧請した処忽ち信仰が広がったと云われています。
一説によると寛文元(1662)年位後草津村に浜田藩船屋敷が設けられその鎮守神として境内に住吉社を祀り、御幸川潟の折曲がった所通称ドンドン(現在の広電草津駅附近)にあって漁民の信仰を集めたと云われています。この住吉社が龍宮神社の前身ですが埋立が進み海浜より遠くなったので明治4(1871)年現在地に遷し祀り、大門下東側にあった住吉社を合併し祀ったと云われています。
草津まちづくりの会
資料を見ていたら被爆建物として紹介がありました、本殿は、明治初期竣工といわれています。
爆心地から≒4780m     被爆当時町名は庚午町でした
※広島市は爆心地からおおむね5km以内で被爆した建物を「被爆建物」と呼んでいます。 07.09.29訂正    05.04.12裕・編集

05.03.21.撮影
広島市西区草津東1-15-7

05.03.21.撮影

05.03.21.撮影

05.03.21.撮影
小橋勘太郎氏のことはわたしにはわかりませんが、
揮毫した参議院議員岩沢忠恭氏との名前に目が止まり撮影しました。



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(草津東)龍宮神社
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