安養山阿弥陀寺跡

  西区草津本町に過って創建されていた“安養山阿弥陀寺”でした。
※現在は、「安養山阿弥陀寺跡」で過っての信仰の場であったことを知ることができます。
安養山阿弥陀寺は、浄土宗のお寺で、(広島の)清岸寺末寺でした。
開基は、小所によると1658(万治元)年とあり、三次藩士の回向寺として建立し、浜田藩がこれを受け継いだものと思われています。
明治維新前までは、本尊(阿弥陀如来)、薬師如来、金毘羅神は、信者により維持されていました。
しかし、
維新以後(廃藩置県以後)廃寺となりましたが、この周りには、諸屋敷役人として草津に在勤していた士族に縁故ある人たちの墓石が遺されています。
安養山阿弥陀寺は、広島ガス電力(現在・広島電鉄)の宮島線工事のために境内が犠牲となり、金毘羅神は、氏神八幡神社に合祀され、薬師如来は(本町に)薬師如来堂として一宇が建立され、眼病の守り本尊として今日に至っています。
広電宮島線は、1922(大正11)年8月22日己斐〜草津間が開業し、1924(大正13)年4月6日草津〜廿日市間が開業するのに伴って、境内が犠牲になったようです。
2005年交流ウォークで草津の街をぶらり散歩した時、草津本町14の薬師如来堂の説明板(上画像)で廃寺になったと云う阿弥陀寺の事を知ったのですが、そのお寺の事は(わたしには)わからなかったのです。
2010年になって交流ウォーク藤井先生に、西楽寺の北(広電宮島線沿いの北)にいまは荒廃しつつある、ここ安養山阿弥陀寺跡を教えていただいたのです。HPを引越しているいま(2011年)になりましたが、この頁を編集しました。
12.03.09更新   1110.29裕・記編集

10.11.28撮影
広島市西区草津本町7-15附近   (手前:広島電鉄宮島線)

10.05.01撮影
安養山阿弥陀寺跡

10.05.01撮影

10.05.01撮影



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