(ひろしま草津かまぼこ)亀康

  西区草津本町でかまぼこを中心に作っている「亀康」を取り上げました。
文政年間(1818-1830)草津浦は、牡蠣の生産地で大阪などのかき船で料理を出していました、その中で魚肉に塩を加えて煉って団子状にし、煮たり焼いたりしたものも提供していました。その技術を活かし、草津港の魚問屋*から仕入れた魚に塩を加えて煉り、経木(きょうぎ:薄い木の板)に盛り炭火で焼いた「おれんかまぼこ」を市場で販売したのが草津蒲鉾の始まりとされます。
明治20(1887)年頃蒲鉾づくりを生業とする業者が現れます、明治40(1907)年「草津蒲鉾組合」*(組合員約35名、初代組合長・三島倉吉)創設されました。大正初期に氷が作れるようになると遠洋漁業などで原料魚を大量に入手できるようになり、蒲鉾専門業者も増加しました。
魚問屋の人たちは、草津港に集まってくる漁師相手に荷を受け、これを各小売業者に卸して商売をしておりましたが、毎日仕入れた魚がすべて売れるわけではありませんので、(当時は)売れ残った魚の処理方法として、魚に塩を加えて塩干しにするか肥料にするしか方法がなかったことで、かまぼこへの利用が始まったと云われているそうです。
(かまぼこ)
蒲鉾:
古くは細い竹を芯にして筒形に塗りつけ、その形がガマの穂に似るところからこの名がついた。
白身の魚のすり身に調味料を加えて練り、蒸し煮あるいはあぶり焼きした食品。
長方形の板に材料を半月形に盛り上げる板付きかまぼことすることが多いが、板を用いないものもある。
2005年交流ウォーク・草津コースの時に、ここで取り上げた「亀康」の根際を通るのですが、天ぷらをつくっているなと思ってみていただけでした。2010年になって、草津にかまぼこをつくる店が(今は少なくなったそうですが)多くあることを知りここ「亀康」を6月撮影しました。11月に草津を訪ねぶらり散歩していた時に、ここ「亀康」に‘ひろしま草津かもぼこ’のシールが貼出しているのをみましたので再度撮影したのです。
そのシールをみると「広島蒲鉾組合青年部」が草津かまぼこを売り出して行こうとしている事を知りましたので、頁を編集することにしました。‘ひろしま草津かもぼこ’の売り出しに、ここ亀康も一役を担っているのだろうと(わたしは)思っています。なお、草津かまぼこのことは「広島蒲鉾組合」の資料を参考にして編集しました。
12.12.20更新  12.03.09裕・記編集

10.06.12撮影
広島市西区草津本町28-12 

10.06.12撮影

10.06.12撮影

10.11.28撮影

10.11.28撮影

12.07.21.撮影
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「食べ物」編



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(草津かまぼこ)亀康
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