(草津・民家沓摺石)盃状穴

  西区草津本町の民家の沓摺石として使われている石にある「盃状穴」を取り上げました。
盃状穴石は、古墳時代(西暦250年〜550年頃)石棺の蓋石に使用された遺物と推定されていますが、現在、盃状穴は謎が多く学会では解明されていないそうで、定説はないようです。
近世では、子孫繁栄と五穀豊穣を願ったという説や陰陽の陰との説などが考えられるのではないのでしょうか。
ここ草津地区は、神功皇后伝承では軍津浦輪(いくさつうらわ)と呼ばれ、三韓出兵に向け軍船が集結したとされるなど古くから伝承がある地なのです。
現在、民家の裏口の沓摺石として利用されていますが、古墳時代に思いをはせるような盃状穴があります。
2010年交流ウォークの藤井先生に盃状穴がある石があると教えていただき撮影しました。
2012年には周りの状況がわかるように撮影していました。
HPをみていると編集していなかったので、2014年の今になりましたが、編集しました。
14.08.11.裕・記編集

12.07.21撮影
広島市西区草津本町22 

10.11.28.撮影

10.11.28.撮影

12.07.21撮影



「盃状穴」編



広島ぶらり散歩
「(西区)草津附近」編


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