(光禅寺境内建立の)至孝山中直武碑
  佐伯区五日市の光禅寺に建立されている「至孝山中直武碑」です。 
海老塩浜で製塩を業とし、また庄屋をつとめた山中直武の業績を後世に残すべく、子孫の山中正雄が1907(明治40)年5月建立した顕彰碑です。
山中直武は、1800(寛政12)年8月12日生まれ、1866(慶応2)年9月28日享年67歳。広島の慈仙寺に葬られました。
光禅寺山門を入ると左手に三基の石碑が建立されています。
広島市教育委員会発行「広島の石碑」を見ていたらこの碑の解説か載っていましたので、山中直武のことが少しばかりわかりましたので、いままで三戰役紀念碑と尊皇碑と一緒に編集していましたが、分離独立した頁にしました。
2015年被爆70年に五日市地区の原爆関連の慰霊碑を巡った時に、ここ光禅寺も訪ねましたので、ここで取り上げている「至孝山中直武碑」の碑文も見たのです。読み下せない部分もああ買ったのですが、直哉の生歿年月日がわかりましたので追記し、画像も増やしました。
 16.07.22.更新   08.02.24分離独立   07.03.17裕・記編集

07.02.07撮影
広島市佐伯区五日市2-1-1  光禅寺

15.05.28.撮影
「至孝山中直武碑」  「尊皇」碑  「三戰役紀念碑」

07.02.07撮影








07.02.07撮影













この碑は山中直武の顕彰碑です 明治40年=1907年 敬称は略しました
至孝(しこう) この上もない孝行(こうこう=子が親を敬い、よく尽くす・こと・さま)。

15.05.28.撮影



「広島ゆかりの人たちの石碑など」編


   (製塩関連頁)
(五日市の)海老塩浜跡
旧海老塩浜堤防跡
(光禅寺建立)至孝山中直武碑



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(境内の)至孝山中直武碑
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「旧(佐伯郡)五日市町」編


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