秀玉稲荷神社

  南区京橋町の猿猴川右岸に鎮座している「秀玉稲荷神社」です。
秀玉稲荷神社由来書
御祭神: 秀玉稲荷大明神
堰(おせき)稲荷大明神
桃柘榴稲荷大明神
広島の町の誕生する天正17(1589 )年より前、五ヶ浦、五ヶ村の名前で呼ばれた時代に既に農耕守護神として崇敬されていました。
五ヶ浦、五ヶ村の時代に治水干拓工事が行なわれ広島三角州の拡大が謀られ毛利元就(1497-1571)は広島城下町の形成拡大に関連して輝元(1553-1625)の広島築城に遡る事三十有余年前の弘治元(1555)年寺家の内川内衆有力者山県就知に約束し種々の名稱で堤が築かれ耕地の拡大が奨励された故今の京橋川、猿猴川分岐点になった台奥の鼻(通称デビ)に治水用築堤工事を行ない出水の被害から守り又これより南にあたる。
段原比治山新開地に農業用水を引く堰の工事も行なわれその際の事故犠牲者を堤の守護霊として後に秀れた魂の持ち主という意味で秀玉の神号を奉つり祭祀が行なわれてきました。
付記  明治12(1937)年広島区長神社調査の折前記御三神を當時の農耕神倉稲魂神御一体に御神号を統一されましたが戦後は又御鎮座当時に戻り祭祀を行ない附近住民の崇敬を受け万般にわたって大きな御加護を戴いています。             昭和57(1982)年10月吉日   鶴羽根神社 加藤齋主 記
おやじが眠る源光院に行くのに信号待ちでこの神社は横目で見るだけでしたが、 2005年撮影しこの頁を編集しました。
2018年撮影しましたので画像を加えこの頁を更新しました。
19.12.07.更新   05.04.26裕・編集

05.04.16撮影
広島市南区京橋町14

05.04.16撮影

05.04.16撮影
社殿 稲荷神の使者・狐

18.11.07.撮影
広島市南区京橋町 城南通り沿い

18.11.07.撮影

18.11.07.撮影
(社殿)

18.11.07.撮影

18.11.07.撮影

18.11.07.撮影
城南通り                猿猴川緑地帯                    猿猴川(向側;駅西高架橋)
  『「日本書紀」「続日本書紀」によるとキツネは、はじめ瑞祥(ずいしょう=めでたいしるし)動物として尊重され、和同5(712)年には伊賀の国から黒ギツネが献上され天下太平のしるしとされた。
各地にある稲荷神社はキツネの瑞祥の不思議な面が強調されキツネを怪異な動物としてまつったものである。京都の伏見稲荷はもっとも有名なものである。
これは農本国の主神としてイネの神すなわち宇賀能美多麻(うかのみたま=食稲魂、倉稲魂)をまつったものである。この神を一に御食津神(みけつがみ)というので通音で三狐神(みけつがみ)と書き文字からキツネを稲荷大明神として信仰するようになり稲荷を信仰すれば神霊あらたかなるキツネが現われて功徳を授けると考えるようになった。』
そうです。
資料は世界大百科事典を参考にしました



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