(胡町)胡子神社えびす じんじゃ

  祭神:事代主命、蛭子命、大江広元
慶長8(1603)年町年寄の銭屋又兵衛が町の繁栄を願い当時城主だった福島正則(1561-1624)に請願し吉田郡吉田荘に鎮座の胡子神を当地に勧請しました。町名も神社に因んで胡町と改められました。
のち、寛永10(1639)年再建、享保20(1735)年再造営、文政10(1827)年、嘉永3(1850)年などに境内の整備が行なわれました。昭和20(1945)年8月6日原爆により悉く灰塵に帰しました、同(昭和20)年11月に仮殿再建、昭和24年拝殿改築、昭和26(1951)年本殿改築、昭和47(1972)年現在の社殿を造営。
* 2013年11月12日RCCラジオ「ごぜん様さま」を聞いていたら“おしくない!広島県”のコーナーで「胡子大祭」を取り上げ、神主にインタビューしていました。
その中で、大江広元公の(創建以来の)御神体は原爆で焼失したので、現在の御神体は戦後になって圓鍔勝三作で作られたこと。その御神体を現在の神主はみた事がない。それは、御神体をみるという行為は、御神体に何か不測の事態が起ったということであるのだからいままでみた事がない、これからも平和である限りみることはないと云われていました。御神体が圓鍔勝三作だと知りましたので追記しました。
13.11.12追記
大江広元 (おおえのひろもと:1148-1225)
鎌倉初期の幕府重臣。初め朝廷に仕えたが、源頼朝(1147-1199)に招かれ公文所、のち政所(まんどころ)の別当となる。守護地頭の設置を献策するなど幕府体制の基礎固めに尽力。頼朝の死後は北条氏とともに政務をとり、執権政治の確立に寄与。
ここ広島の(胡町)胡子神社の大祭は、11月17日〜19日が宵宮、20日が本祭ですが、これに合わせて、周辺商店街で行なわれるのが「えびす講」、正確には「えびす講誓文払い」と云い、大売り出しが行なわれ、全国各地の「えびす講」とそう違わないのですが、報道等でご存知の方も多いでしょうが『広島の暴走族がこの広島市の三大祭りの一つ胡子大祭を、メンバーを送り出す「引退式」と位置付け』歩行者天国で警官隊と衝突する騒動があったりしました。警察の取り締まり強化で沈静化していくのでしょうが。
えびす講の名物は、縁起ものとして、おかめの面や桝、大福張、大判小判、宝船七福神をあしらった竹の熊手『こまざらえ』なのです。
07.02.15追記    05.05.02裕・編集

05.04.16撮影
広島市中区胡町5-12

05.04.16撮影

07.01.20撮影
今回お賽銭を入れお参りしようとしたとき神主さんが出てこられお払いをしていただきました



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