光禅寺
  佐伯区五日市に建てられている「五葉院宝玉山・光禅寺」です。
光禅寺は、浄土真宗本願寺派のお寺で、本尊は阿弥陀如来です。
由緒:もと仏護寺十二坊の一つ。創建当時は高井村・口和田村の境にあって治音寺(慈恩寺とも)と称し真言宗に属していました。
室町期永正3(1506)年僧・祐仙が本願寺第9代実如上人に帰依し光禅寺の寺号と阿弥陀彫刻・阿弥陀如来像を受け浄土真宗へ改宗しました。
永禄2(1559)年第2代了善のとき保井田村五葉院谷に転寺し、
天正8(1580)年第3代祐了の時五日市の現在地に移りました。
(一説によると、1580年広島寺町に移り26年を経て現在地に移るという説もあります)
五日市町のこの辺りに来たことはなかったのです。
資料で五日市町原爆死歿者慰霊碑が参道に建立されていることを知っていましたのでいつかは訪ねてみなくてはと思っていたのです。2007年交流ウォークのコース設定前に立ち寄って撮影しました。
この光禅寺にはみてみたいものが多く見逃したものもあり次回ウォークの時に再度確認してみようと思っているところです。由緒は五日市町誌を見ているときに記述があり追記しました。
2016年原爆関連慰霊碑などを訪ねたときにこの光禅寺も別角度で撮影していました。2018年になりましたが頁を更新しました。
18.06.17.更新   07.03.13裕・記編集

07.02.07撮影
広島市佐伯区五日市2-1-1

07.02.07撮影

15.05.28.撮影
山号額:宝玉山

15.05.28.撮影

15.05.28.撮影
(墓地の方からみました)

07.02.07撮影
※五日市町は、1985(昭和60)年3月20日広島市編入、8番目の行政区・佐伯区発足。
五日市町指定重要文化財
光禅寺の梵鐘
高さ 119.0cm
内側 51.5cm
外側 69.1cm
材質 銅鋳製
鋳造年月 延宝7(1679)年5月
光禅寺五世住持・釈空の発願で廿日市の鋳物師・第18代山田右衛門貞栄が鋳造しました。第二次世界大戦中に供出でほとんどが失われている中この梵鐘は五日市町内で最古の銘をもつものです。
昭和59(1984)年5月1日指定
五日市町教育委員会

07.02.07撮影
「至孝山中直武」碑  「尊皇」碑  「三戰役紀念碑」

07.02.07撮影

07.02.07撮影

07.02.07撮影
誓いの松、広島市保存樹:36クロマツ 広島市保存樹:16クロマツ 広島市保存樹:15イチョウ



「神社寺院など」編



広島ぶらり散歩へ
光禅寺
(参道根際の)五日市町原爆死歿者慰霊碑
(墓苑の)南方特別留学生墓碑
(墓苑の)五日市町陸海軍戦死者墓地
(幼稚園前)江里宗平・敏明作:親鸞聖人童形像
(幼稚園前)親鸞聖人歌碑(あすありと・・・)
(境内の)三戰役紀念碑、尊皇碑
(境内の)至孝山中直武碑
(境内の)覚潭の手水鉢
(参道根際の)誓いの松
(山門横の)広島市保存樹16クロマツ
(本堂横の)広島市保存樹15イチョ


「旧(佐伯郡)五日市町」編


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