(光禅寺境内の)五日市町陸海軍戰死者墓地
  佐伯区五日市の光禅寺墓苑に建立されている「五日市町陸海軍戰死者墓地」です。
1889年4月1日町村制施行時、五日市村+海老塩浜+皆賀村=佐伯郡五海市(いつかいち)村発足。
1911年10月1日五海市村が村名改称・同時に町制施行で五日市町。

1955年4月1日五日市町+石内村+観音村+河内村+八幡村=(新しい)五日市町になりました。
1985年3月20日広島市に編入されて消滅。同時に広島市内8番目の行政区・佐伯区が発足。
参道には原爆死歿者の慰霊碑が建立されていますが、墓苑にはここで取り上げた先の大戦を含む各戰役で死亡した軍人の方々の墓地が建立されたのでしょう。
建立時期を尋ねませんでしたが、墓地の痛みが目に付くようになっていました。
2007年交流ウォークの時、会長に陸海軍戦死者の墓地がありますよといわれたので頭を垂れ、撮影しました。
07.03.16裕編集

07.03.07撮影
広島市佐伯区五日市2-1-1  光禅寺墓苑

07.03.07撮影
しじょうしん
至誠心
〔仏教語〕 極楽往生を願う真心。
しせい
至誠
この上なく誠実なこと。また、その心。まごころ。
「愛国は人性の至誠なり」:基督信徒の慰(内村鑑三・思想家1861-1930)
じんせい
人性
人の生まれつき。人が本来そなえている自然の性質。

07.03.07撮影
内部



軍都・廣島関連施設戦跡など」編



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光禅寺
(参道根際の)五日市町原爆死歿者慰霊碑
(墓苑の)南方特別留学生墓碑
(墓苑)五日市町陸海軍戦死者墓地
(幼稚園前)江里宗平・敏明作:親鸞聖人童形像
(幼稚園前)親鸞聖人歌碑(あすありと・・・)
(境内の)三戰役紀念碑、尊皇碑
(境内の)至孝山中直武碑
(境内の)覚潭の手水鉢
(参道根際の)誓いの松
(山門横の)広島市保存樹16クロマツ
(本堂横の)広島市保存樹15イチョウ


「旧(佐伯郡)五日市町」編


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