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佐伯区五日市の光禅寺幼稚園前の“親鸞聖人童形像”台座に刻まれた「親鸞聖人の歌碑」です。 |
浄土真宗のお寺で親鸞聖人像をみることはしばしばありましたが、「親鸞聖人の幼少像」をここ光禅寺幼稚園の根際でみましたので、頁を編集しようと撮影しました。
その時、台座黒御影石に歌(和歌)が刻まれている事に気が付きました。
なるほどと思う内容の歌だなと思ったのですが、恥ずかしい事に、親鸞聖人が(九歳で出家する際に)詠まれた歌かもしれないということは考えもしなかったのです。 |
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ふ
か
ぬ
も
の
か
わ
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あ
ら
し
の
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夜
わ
に
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あ
だ
ざ
く
ら
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思
う
心
の
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あ
す
あ
り
と
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よわ=夜半 |
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親鸞(しんらん1173-1262) |
鎌倉初期の僧。浄土真宗の開祖。日野有範(ありのり:?-?)の子。幼名:松若丸。1181(治承5)年9歳の時、後に天台座主になった慈円(慈鎮和尚)のもと京都青蓮院において得度し、範宴(はんねん)と称しました。
比叡山で天台宗などを学び、29歳のとき法然(1133-1212)に師事し、他力教に帰しました。師の法難に連座して越後に流され、ここで恵信尼(えしんに:1182-1268?)と結婚し、善鸞と覚信尼をもうけました。のち、許されて常陸・信濃・下野(しもつけ)などを教化(きょうけ)し、浄土真宗を開き、阿弥陀による万人救済を説きました。著「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」「愚禿鈔(ぐとくしょう)」など。見真大師(けんしんだいし)。 |
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1181(治承5)年9歳の時、後に天台座主になった慈円(慈鎮)和尚のもと京都青蓮院において得度をおこなおうとしましたが、既に夜も更けていたので、慈円和尚が「今夜はとりあえず休め」と云ったところ、この歌を詠ったとされるという事を帰宅後知りました。 |
江里宗平・敏明作:親鸞聖人童形像の頁にこの歌を入れるかなとも思いましたが、上記のような事を知りましたので、広島ぶらり散歩「文学碑など」編に加えるべくこの頁を編集しました。 |
12.10.08.裕・記編集 |