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中区八丁堀のYMCAに建立されている「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会・3号碑」です。 |
広島YMCA南西角の3号碑は、2003(平成15)年8月6日に設置されました。
1号碑は、2002(平成14)年8月3日西応寺横に設置されています。 |
※この碑の裏側(建物内部側)には「済美学校の碑」が建立されています。 |
2005年撮影しこの頁を編集しました。 |
外壁(梁部分)が茶色に吹き替えられていました。また、“広島YMCA2号館”の標識が付いていましたので、2011年撮影していました。
2014年になって過去撮影未画像を整理していて気が付き、いまになりましたが、画像を追加しました。
また、2005年にも書いてあった「UT OMNES UNUM SINT」に目が行きました。
『UT OMNES UNUM SINT みんなのものが ひとつとなるために』はYMCAの標語である事が今頃になってわかるという情けなさでしたが追記し、この頁を更新しました。
2020年コロナ禍の中、通称・平和記念式典は参列者を限定して催されたその日、参列は出来ないので,、久しぶりにここ八丁堀の済美学校之碑を訪ねました。
済美学校之碑に頭を垂れる前にこの絵碑が目に留まりますので、(被爆者が描いたこの絵碑に変わりがあるわけでは無かったのですが)久しぶりだなと撮影しました。 |
21.07.05.更新 05.06.08裕・記編集 |
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05.06.08撮影 |
広島市中区八丁堀7-14 |
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05.06.08撮影 |
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11.05.21撮影 |
外壁(梁部分)が茶色に吹き替えられています。広島YMCA2号館の標識が付きました |
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UT OMNES UNUM SINT みんなのものが ひとつとなるために |
外壁に取り付けられている標語は、
『YMCAは、世界119の国と地域で5,800万人の会員を有する世界最大の青年運動として、平和で民主的な世界の建設のために大きな力を発揮しています。
“みんなのものがひとつになるために”というYMCAの標語は、人権、民族、宗教を越え、世界共通に用いられています。』ということで、YMCAの標語でした。 |
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“UT OMNES UNUM SINT”を検索すると独逸のWikipediaがHITします。ヤフーの自動翻訳を使うと
『UT OMNES UNUM SINTは、「とても団結して、そうであります」のラテンのスローガンです。
彼/それは、ヨハネス・ゴスペル(Joh 17,21 GNB)から来ます。
彼/それは、マインツ・ヨハネスのグーテンベルグ-Universitatで、1946を選択されました、たとえば、開ける、
そして、ドイツ人にアルゼンチンの作曲家カルロスVeerhoff (1926.2011)の仕事のタイトルでありもします。
類似したUt Unum Sint(「彼らが1つでいるために」)(Joh 17,11 GNB)は、Okumeneの原則を導くと、考えられています。
CVJMの世界協会とキリスト教世界学生協会(WSCF)には、彼女/それ/それらの基盤からこのスローガンがあります。 この相互関係は、普通の発信者父の上でジョンR.を行きます 背中をしまい込んでください。
ヨハネス・パウルII。 回状は、Okumeneにこのタイトルの下で公表しました。』と訳してくれました。
聖書のヨハネによる福音書からの言葉(ラテン語)だなと思ったのです。 |
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次に“みんなのものが ひとつとなるために”を検索するとYMCA保育園の頁がHITしました。
『「みんなのものがひとつとなるためには」は保育目標の一つとして、‘家庭や地域の人びととの連携や交流を深め、身近なところから、世界平和を希求します。’』とありました。 |
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2005年この「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」第三号碑をみた時その上にある言葉を気にすることまなかったわたしでした。
2014年に未整理の画像をみた時、何語かなと思ったのです*。
YMCA広島に建立(設置)されたこの3号碑だという事を改めて知ったわたしです。 |
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11.05.21撮影 |
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20.08.06.撮影 |
「ノーモアヒロシマ」森下清鶴(弘) 「平和行進 ヒロシマに到着」四國五郎(1924-2014) |
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20.08.06.撮影 |
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20.08.06.撮影 |
広島YMCA2号館 |
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