中の棚

  中区立町に“中の棚商店街”がありますその名「中の棚」についてこの頁で取り上げました。
中の棚は広島城築城起工の年{天正17(1589)年}に広島で最初の魚市場が設けられ「うおの棚」と呼ばれ、福島正則の時代(1600〜1619)には、中の棚の地名は「東魚屋町」その西側の南北の通りを「たて(立・竪)」と呼んび、浅野氏の時代に地名を東魚屋町と定められ愛称で「中の棚」と云われたことに由来するそうです。
1619(元和5)年西魚屋町(現在袋町付近)と京橋町に魚市場が設けられ三ヶ所の真ん中の店という意味から中の棚と呼ばれるようになったという説もあります。
  江戸時代の中の棚は、一面に一尺×三尺(≒30cm×≒90cm)の赤御影石が敷き詰められ、石と石の間に水が溜まり月が映り独特の情緒があったと伝えられているそうです。
大きさは違いますが現在にそのころの情緒をと1996(平成8)年〜1997(平成9)年に石舗装等にしたと聞きます。
「中ノ棚魚市場」は、戦時下の1943(昭和18)年6月企業整備の勅令に従って、「千田町魚市場」に合併されました。
こうして、最も古く(広島城築城以来)広い町内全域であった魚市場は、東魚屋町からなくなりました。
2005年交流ウォークのときに撮影しこの頁を編集しました。
11.05.23.更新     05.05.23裕・記編集

05.05.11撮影
広島市中区立町6  (中の棚商店街) 

05.05.11撮影

11.05.22撮影
道路舗装に使われている御影石には魚介類や中の棚・東魚屋町の字をデザインしている。

11.05.22撮影
 

05.05.11撮影
通りには安芸国広島城所絵図、広島城下絵屏風が説明板にされている
この絵は、文化年間(1804〜1818)頃に城下町広島の様子を絵屏風に描いたものです。屏風には、東の猿猴川から西の天満町あたりまでを東から春夏秋冬の季節に分て西国街道に沿って街並みと武士や町人の様子が描かれています。
広島城の外堀が見える。南北の堀は八丁(約880m))あったことから「八丁堀」と呼ばれた。堀の南側の街並みが「東魚屋町」で武家屋敷との間に東魚屋町の入り口である「中の棚橋」がみえる。中の棚橋は広島城の堀と平田屋川との境にあって、橋の下には堀の水位を調整する「唐樋」中国式水門設けてあった。唐樋は水害や船の侵入等を守る重要な役割を果たしていた。
中の棚橋は欄干附きの小板橋で長さ一間五尺六寸(≒3m48cm)幅二間一尺七寸(≒4m15cm)であった。

11.05.21撮影
(「広島城下絵屏風」碑の位置は変わらずともお店は変わる?)



「その他」編



広島ぶらり散歩
(広島)中の棚
中の棚橋・跡
中の棚稲荷神社


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