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中区立町に鎮座している「中の棚稲荷神社」です。 |
中の棚稲荷神社の縁起 宮司敬白
今より四百余年前天正17(1589)年旧広島藩主毛利輝元公広島築城に当り伏見稲荷大明神を勧請して安置せられし由緒ある神社にて昔より市民の崇敬篤く連綿として鎮座ましまして諸々の災難を除き商売繁昌特に水商売に吉祥開運を授け給うと言伝えある霊験あらたかなる神社なり |
中の棚稲荷神社勧請者 松尾吉夫追記
東魚屋町(中の棚)には、天和3(1683)年頃、七兵衛・清左衛門・彦左衛門他の「かざりや(錺屋)」がありました。いずれも関西方面の出身だったようです。
「知新集」に、『・・・宝暦8(1758)年の大火のあと此新小路をひらく、また、此所に稲荷の小祠あり、これは餝屋何某といえるものの鎮守なる・・』とあります。何某とは祠の位置や資力などから「かざりや七兵衛」の関係者で最初の勧請者と推定されます。
中の棚は、広島城下の中心地で毛利時代は武家屋敷であり、福島正則時代には町屋となった古い商業地で、「食の町」と云われていますが、一時期にせよ金属装飾品加工の「美の町」でもあったのです。 |
*上記は松尾氏の原文のままではありません。下記※松尾氏 |
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「中ノ棚魚市場」は、戦時下の1943(昭和18)年6月企業整備の政令☆に従って、「千田町魚市場」に合併されました。
こうして、最も古く(広島城築城以来)広い町内全域であった魚市場は、東魚屋町からなくなりました。 |
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☆ 国家総動員法3回目の改正その中で、企業整備令(昭和17年5月13日勅令第503号) |
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2005年交流ウォークの時撮影しこの頁を編集しました。
HPを引っ越している今(2011年)回撮影の画像和加え頁を更新しました。その時、神社銘板の揮毫が第22代広島市長渡辺忠雄だったことがわかりました。 |
2017年参拝した時、神社縁起板の下に追加の説明板が設置され、魚市場の敷石が展示されていましたので、撮影しましたので、この頁掲載の画像を見直し再編集しました。 |
18.06.30.再編集 05.05.24裕・編集 |
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05.05.11撮影 |
広島市中区立町1-11 |
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05.05.11撮影 |
広島市中区立町1-11 |
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11.05.21撮影 |
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中の棚稲荷神社 |
廣島市長 渡邉忠男(22代:在職1955-1959) |
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11.05.21撮影 |
拝殿から本殿をみました |
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17.09.19.撮影 |
企業寄進の提灯に目が行き撮影(2006年と2011年は違っていましたが、今回は代わっていない?) |
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17.09.19.撮影 |
神社創建260周年(宝暦8年〜平成30年) 「中ノ棚魚市場」(戦中)。昭和初期までの旧魚市場 |
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17.09.19.撮影 |
17.09.19.撮影 |
「中ノ棚魚市場」神社参道でもあった |
明治初年「中の棚稲生神社」 |
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17.09.19.撮影 |
「中ノ棚魚市場」東魚屋町・敷石の一部 |
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