(井口)塩釜神社

  西区井口に鎮座している「鹽竈神社」です。
塩釜神社には、塩椎神(しおつちのかみ)が祀られています。
塩椎神は「古事記」で、「日本書紀」には塩土老翁(しおつちのおじ)・塩筒(しおつつ)老翁と記され、塩は「潮」のことで潮流をつかさどる神・海路の神・航海の神などといわれ海に関係した神で、海幸彦・山幸彦という兄弟の神の物語にも登場する神様です。
瀬戸内海では、主として製塩の神として信仰されてきました。
当神社の創建は詳らかではありませんが、寛文4(1664)年作成といわれる「井口之図」には、塩屋明神として記載があり、西国街道の時代、浜で製塩や漁業に従事する人たちが良い塩の出来上がりを願い、旅人が旅路の安全を祈願して崇拝していたようです。
昔は、現在地の少し右奥に在り、人々が谷川の清水で喉を潤し、老松の木陰で休んでいたようです。 
平成21(2009)年11月井口・鈴が峰魅力さがし委員会
※塩竈神社の本源は宮城県塩釜市一森に鎮座する塩竃神社で旧社格は国幣中社です。
(井口での塩つくり教えていただきました)
『井口の電停の沖に(江戸時代)井口村で塩田所を作ることになり、浜、揚げ、阿瀬波(井口西側・八幡川河口東岸一帯)と当番を決め、海の満潮時に海水を汲んであがり、高い所から流し、辛くなった海水を四角な大釜で一日炊いたら底に塩ができる。それを計って、何斗何升作りましたと雑記帳に書いたら、一日の塩当番は終了。出来た塩は井口村全体へ配給した。』そうです。
2005年交流ウォークで立寄り参拝した時には、説明板は設置されていませんでしたので、(わたしは)『ここ井口3丁目の塩釜明神は西部埋立が始まるまでは海に面し、製塩・漁業・安産の守護神として(全国的に塩竈神社という神社名は多く見受けられ)ここ塩釜明神も同じようなことから創建されたのでしょう。』とこの頁に記述していました。2010年交流ウォーク下見で立ち寄った時に、説明板が設置されていましたので、撮影していました。HPを引っ越している今(2011年)回になりましたが、この頁を再編集しました。
2015年被爆70年にこの塩釜神社を参拝して、この上の方に位置する合掌院に行きましたので、撮影していました。
18.09.11.更新  11.10.04再編集   05.07.06裕・記編集

05.06.18撮影
広島市西区井口3-21

05.06.18撮影
祠の中の注意書き
「神様へは榊(さかき)を献(ささ)げるものです。榊立へ花を入れると水が腐ります。花を献げる方は、別の榊立へお願いします。(塩釜神社氏子)」
榊(さかき): ツバキ科の常緑小高木。関東以西の山林中に自生し、高さ約5m。葉は互生し、やや倒卵形で先が細く、つやがあって堅い。夏、白い花をつけ、実は熟すと黒くなる。

05.06.18撮影

10.06.05撮影
(2010年近くを通りましたので参拝しました)

15.08.22.撮影
(2015年も近くを通りましたので参拝しました)

15.08.22.撮影

15.08.22.撮影
説明板にある「井口村の図」を撮影し使用しています



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