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中区大手町の元安川左岸緑地帯を通る「灯和の径(とわのみち)」です。
※また、“平和の径”と北側の原爆ドームをみながらの遊歩道は「8月6日通り」と名付られています。 |
元安橋東詰北側のメッセージボードから平和大橋を渡り被爆動員学徒慰霊慈母観音像の元安川河畔の遊歩道を“灯和の径 (とわのみち)”と呼ぶようです。
メッセージボードには『ひろしまから「平和の世紀」を創るための希望の灯をともします。』と書かれています。 |
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広島観光コンベンションビューローの資料によると
『「灯和の径」は、広島市の2000(平成12)年〜2001(平成13)年ミレニアム事業のひとつとして、整備されたものです。元安川左岸緑地帯から平和大通り緑地帯にかけて、ガス灯やメッセージ灯、ローポール灯などが設置され、広島らしい個性的で魅力ある夜の景観を創り出しています。
ガス灯:1基 (平和の灯火から採火しました。)
メッセージ灯:1基(「ひろしまから「平和の世紀」を創るため希望の灯をともします」と記され、手をかざすと、光の色が変化します。)
ローポール灯:52基(四季などに応じた光の動きの変化を見せ、季節に応じて光の色を変えます。)』とあります。 |
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05.07.28撮影 |
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平和大橋〜(遊歩道)〜元安橋東詰南側 |
灯和の径 (とわのみち)
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ひろしまから「平和の世紀」を創るための希望の灯をともします。 |
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05.07.28撮影 |
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平和大橋〜(遊歩道)〜相生橋東詰南側 |
「8月6日通り |
私たちは、人が「命」について思いを馳せることを忘れてほしくないという願いを込めて、ひとつの小さな通りに「8月6日通り」という名前をつけました。 |
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2005年7月の交流ウォークは、暑い日でした。わたしもはじめて帽子をかぶりました。会長がここにしばらく来ない方は「灯和の径」をご存じないでしょうといわれました。
2001(平成13)年完成という「灯和の径」、わたしは2001年以前も以後も何度となくここを通っていたのに知りませんでした。灯和の道・8月6日通り、そのような名前がついていることを知り後日再度撮影で訪れました。 |
編集頁では「灯和の径」だけの説明になっていたようですので、画像を増やし、「8月6日通り」もわかるようにと今(2019年)回地図を付けて、この頁を更新しました。 |
19.09.23.更新 05.07.30裕・記編集 |