西堂橋跡・説明板

  中区大手町の平和大通り緑地帯に設置されている「西堂橋跡」説明板です。
西堂橋跡説明板が平和大通りのNHK前に設置されています。
現在の鯉城通り(宇品線電車通り)は、堀川として毛利輝元により開削され、西堂川といわれ、平和大通りと交差するこの附近に西堂橋が架かっていたことを教えていただきました。
明治の終わり頃に埋立てられたそうです。
広電電停で、商店街でその名を残す鷹野橋も西堂川にかかっていた橋から名を残しています。
西堂川(せいとうかわ)は西塔川とも書き埋め立てられた跡地に1912(大正元)念に電車が通り宇品へ至る動脈となりました。
2005年交流ウォークの時この説明板を案内していただき、西堂川のことを知りました。
 05.08.07更新   05.08.01裕・記編集

05.07.16撮影
広島市中区大手町21 平和大通り緑地帯

05.07.16撮影
せいとうばし あと
西堂橋跡
  西堂橋は、天正19(1591)年、毛利輝元が広島城を築城したとき、開削した西堂川にかかっていた。
位置は、白神社西南方(現在の平和大通り附近)で名称は国泰寺の開基僧・安国寺恵瓊が京都東福寺西堂の地位にあり、川の近くにあったことに由来する。
橋は巾2間半(約4.5m)で欄上付き、橋上に瓦葺の屋根があり、西入口に扉、東詰に制札があったという。
東福寺(とうふくじ)
京都市東山区本町にある臨済宗東福寺派の大本山。山号、慧日山。1236年九条道家の創建。開山は円爾弁円(えんにべんえん)。奈良の東大寺・興福寺より一字ずつとり寺名とした。
京都五山の一。九条・一条両家の廟所。
国宝の無準師範画像など多くの寺宝を蔵す。
西堂(せいどう)
2)僧位の一つ。住持の次に位し、修行僧の指導にあたる。
欄(おばしま)
欄干(らんかん)。手摺(てす)。
制札(せいさつ)
一般に知らせる禁止事項や伝達事項を書いて、路傍などに立てておく札。たてふだ。

05.08.06撮影
現在の鯉城通  本通電停附近から南側をみる



広島の橋」編



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