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中区中島町に建てられている「神崎山浄花院・西応寺」です。 |
神崎山浄花院・西応寺は浄土真宗本願寺派のお寺です。
知新集によると
『神崎山西應寺は沼田郡廣島中島新町にあり、開基を慶榮といい元来紀伊国雑賀鈴木の一類で村井保左衛門と言っており、元亀年間大坂石山合戦(1570-1580)で入城し11年間戦功をつくし、その後紀伊国根来と一味して豊臣秀吉に敵対しゆえに毛利氏を頼って逃下り、出家して慶長年間(1596-1615)に当寺を建立しました、山号は何時から付いたか定かではありません。』とあります。
現在のお寺は、定礎板から平成11(1999)年11月建之(再建)のようです。 |
爆心地から≒690m 被爆当時町名中島新町 |
お寺の入口横に「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」により除幕された第一号の碑が設置されています。
墓所には峠家のお墓が大正15(1926)年建立されており(被爆した墓石です)、昭和28(1953)年36歳の若さで亡くなった詩人・峠三吉氏もここに葬られていると聞きます。 |
11.11.20.更新 04.07.24裕・記編集 |
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11.11.17.撮影 |
広島市中区中島町9-5 西応寺 |
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05.07.16撮影 |
05.07.16撮影 |
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05.07.16撮影 |
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神崎山 西應寺 |
平成11年11月建立 |
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04.07.04撮影 |
05.07.16撮影 |
「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」第一号碑
2002(平成14)年8月3日除幕 |
峠家のお墓
詩人・峠三吉(とうげさんきち)も葬られています |
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