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中区中島町の西応寺に建立されている「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会・第一号碑」です。 |
中区中島町のここ西応寺の入口横に「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」により2002(平成14)年8月3日除幕されたこの第一号の碑が設置されています。 |
一号碑の絵は「投下直前の図」「投下直後の図」 で木村秀男氏(被爆当時草津国民学校高等科一年)が描かれたものを陶板画としたものだそうです。
「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」は脚本家・早坂暁(はやさか あきら:愛媛県北条市生まれ:1929- )氏などが2000(平成12)年に提唱され少なくとも33ヵ所、できれば88ヵ所建てたいということではじまりました。 |
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生地獄
空を見上げれば、B29爆撃機
白い飛行機雲が輪を描く
ピカー、ピカーと光る
閃光・大音響・熱線・爆風
黒煙・黒い雨
火の海、屍の川
火の中の人間
煙の中の人間
水の中の人間
熱い、熱い、火が迫ってくる
真黒に煤けた人間、 |
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皮膚も肉も焼けただれて ぶらさがり、ふくれあがり
あー助けて、助けてと叫ぶ
あー水を、水を下さい、水をー
息絶える
此の世の生地獄だ
ニ度と繰り返させないぞ、来世は
木村秀男 2004年1月記 |
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2002年建立されたというこの碑をわたしは2004年訪ね撮影しこの頁を編集しました。 |
2011年横を通った時に碑の上に説明板が取り付けられたのだと思って、立ち止ってみたのです。
それには(原爆の絵の上に)絵を描いた木村さんの「生地獄」という詩、被爆者が描いた絵を街角に返す会の「世界がヒロシマを忘れたとき、再びあの日は繰返される。」と記した早坂暁さんのことば、被爆者が描いた絵を街角に返す会について日本語と英語で記述した板が設置されていましたので撮影していました。
2014年のいまになりましたが、これらを編集し、この頁を再編集しました。 |
14.10.12.再編集 04.07.24裕・記編集 |