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中区加古町本川河畔に建立されている「梶山季之文学碑」です。 |
梶山季之文学碑 平成3(1991)年5月 梶山季之文学碑建立委員会 |
この碑銘「花不語」(花は語らず)は、故人が揮毫に用い心情の一端を託した言葉である。
梶山季之は昭和5(1930)年ソウルに生まれ、終戦後両親の郷里地地御前(現:廿日市市)へ引揚げた。のち広島市主水町(現:加古町)に居住、学生時代(広島高等師範学校)を送った。
在学中より文学への素志を培い、有志をあつめ主導的役割をもって、焦土広島の地における文化の創造と振興に関与その実践力は抜群の成果を生み文化的営為の基礎づくりに貢献した。昭和28(1953)年上京、昭和37(1962)年「黒の試走車」により一躍世評を高め文学の一分野を拓いた。爾後その著作は昭和40年代の社会環境を如実に反映しさらに季節社を創設して日本文壇の基礎資料収集に尽力近代作家研究に重要な文献をのこした。昭和50(1975)年5月取材のため香港へ赴き客死享年45歳。 |
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故人の旺盛な活力と文業を偲び有志あい集って広島の未来にわたる文化振興のため縁となることを願い、ここ故人のゆかりの地にこれを建つ。 |
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2005年交流ウォークの時藤井先生にこの梶山季之文学碑を教えていただき撮影してこの頁を編集しました。
それ以来、作者がわからないまま時が過ぎていきましたが、今(2010年)回広島市のWEB SITE「広島市の屋外彫刻等」の頁をみて、この作品が、荒川明照作品ということがわかりましたので追記しました。 |
2015年広島県職員原爆犠牲者慰霊碑を訪ねた時に、この梶山季之文学碑も久しぶりに撮影しましたので、この頁を更新しました。 |
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アステールプラザは2015年6月から2020年3月までは、JMS(医療機器メーカー)が(税抜2,900万円で)命名権を取得したので、JMSアステールプラザと呼ばれています。 |
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16.03.03.更新 05.07.27裕・編集 |