浄圓寺
  邑智山・浄圓寺は、浄土真宗本願寺派のお寺です。知新集によると
邑智山金剛心院浄圓寺は、沼田郡廣島中島材木町にあり浄土真宗西本願寺直末で廣島西派真宗六ヶ寺の觸頭※です。開基は了空(一名:圓喜、正保元年=1644年入寂)といい石見國邑智郡(おおちぐん)篠畑郷の人で父を覺安(慶長10年=1605年入寂)といい同郷の龍藏寺を開基した人です。(毛利時代)了空26歳の春父子ともに(戦前までの材木町の)いまの地を買いとり一宇建立して浄圓寺と称しました。・・・』とあります。
戦前までは、浄圓寺(浄円寺)は、現在の平和記念公園(になった地・通称原爆資料館北側)にあり、原爆で壊滅しましたが、バラックのお寺で再建していたそうですが、公園計画を受け入れ、1951(昭和26)年に現・土屋病院の所に移転、さらに1971(昭和46)年現在地に移り再建されたそうです。
ふれがしら
觸頭(触頭)
江戸時代、寺院・神社のなかから選定され、寺社奉行から出る命令の伝達や、寺社から出る訴訟の取り次ぎにあたった神社・寺院。
平和記念公園の中に塀もなくぽつんと建っている「材木町跡碑」の根際に、2008年材木町・説明板が設置されました、その中に戦前の材木町の復元地図が付いており、それを見ていた時に、ここで取り上げた浄圓寺が、ここ(平和記念公園)にあったことを知りました。2012年になりましたが、元安川河畔の浄圓寺を撮影しました。
境内に入ったところで親鸞聖人像をみましたので作者のサインがないかと思った時にこの像が1973(昭和48)年似島の門徒の方々の寄附で建立されたという芳名板をみましたので撮影したのです。というのは、1991年(島民念願だったという)親鸞聖人像が似島真宗説教場前に建立されているのをみたからなのです。
 12.07.15裕・記編集

12.02.21撮影
広島市中区中島町7-2

12.02.21撮影

12.02.21撮影
本堂

12.03.22撮影

12.03.22撮影



「広島の神社寺院」編



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