(善福寺)被爆した墓石
  中区中島町の善福寺に残されている「被爆した墓石」をこの頁では取り上げました。
仁保山善福寺は、浄土真宗本願寺派のお寺です。
善福寺、戦前の地図をみると(現在吉島通りなどが整備され区画整理が成されているようですが)被爆時とほぼ同じ位置に位置しているのです、(わたしの)被爆建物巡りの参考図書「ヒロシマの被爆建造物は語る」には被爆した墓石などの記述がありませんが、墓地を拝見した処、被爆した墓石(と明らかに思われる)墓石を散見しました。なぜ掲載がないのかはいまのわたしにはわかりませんが、お寺などの希望などで掲載を断ったなどの理由かなとも思いますが。
ここ善福寺より爆心地側に西応寺(資料によると爆心地より690m)があります、西応寺から善福寺まで約30m位あります。
今(2012)年になって)「善福寺」をはじめて(わたしは)訪ねました。
狭い(戦後区画整理などで狭くなった)境内の横から墓苑を拝見させていただきました。
明らかに被爆であろうと(わたしは)思う墓石を散見しました。お墓建立の年月日からもそれを裏付けるお墓を撮影させていただきました。
広島市内のお寺も代替わりしてきているようで、ここ「善福寺」でも墓苑の整理がなされるようで、無縁(になったとおもわれる)墓石を整理するという表示板があるお墓もみました。
 12.08.03.裕・記編集

12.07.18撮影
広島市中区中島町9-10  善福寺

12.07.18撮影

12.07.18撮影
明治2年=1869年

12.07.18撮影

12.07.18撮影
天保2年=1831年  明治22年=1889年  明治12年=1879年  

12.07.18撮影

12.07.18撮影



被爆した建物・構築物」編



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