(大手町)金毘羅神社

  中区大手町に鎮座の「(大手町)金毘羅神社」です。
祭神は金毘羅神社の名前から大物主神(または異名同神とされる大国主命)だろうと思いますが、この神社の詳細はわかりません。
標柱は、明治44(1911)年とありますので被爆した構築物ですが、社殿はRC造なので戦後再建されたものと思われます。
爆心地より≒700m   被爆当時町名は大手町七丁目でした
金毘羅(ことひら)は金比羅、琴平、金刀比羅などとも書きます。
(これらを冠した神社の本源は、香川県琴平町鎮座の金刀比羅宮であると云われています )。
サンスクリットのクンビーラ(Kumbhira)の漢訳で、ガンジス川に棲息する鰐(わに)の神格化した名で、仏法の守護神として薬師如来十二神将の一つで、宮毘羅(くびら)大将のことです。
鰐神は、竜王(竜神)あるいは海神として海難祈願や雨乞いなど水に縁がある善神とされ、これがわが国に垂迹して金比羅大権現となったものだそうです。
垂迹(すいじゃく)=仏・菩薩が衆生(しゆじよう)を救うために仮の姿をとってこの世に現れること。
また、その仮の姿(特に)日本では在来の神を仏・菩薩の垂迹であるとしています。
資料は川口謙二著「日本の神様事典」を参考にしました
この前を20年ほど前から歩くことがあったので神社があったことは知っていましたが、金毘羅神社という社名も知らず、立ち寄ったのは今(2005年)回の交流ウォークが初めてだったのです。
資料にある被爆した標柱、狛犬の画像を見直し、2011年・2017年撮影画像を加えこの頁を更新しました。
2021年近くに来ましたので参拝し撮影しました。隣のビル黄色の外壁が塗り替えられていました。
22.02.04.更新  05.09.29裕・記編集

05.09.16.撮影
広島市中区大手町3-6-25

05.09.16.撮影
社殿

05.09.16.撮影

05.09.16.撮影
被爆した標柱は明治44(1911)年7月建之
現在、標柱はステンレス鋼で補強されています
被爆した狛犬は大正3(1914)年奉獻

11.03.30.撮影
(2011年≒西側から神社をみました)

11.03.30.撮影
(境内の方から標柱をみました)

17.04.27.撮影
(2017年≒西側から神社をみました)

21.02.18.撮影
(右隣建物外壁の改修工事をしたようです。)

21.02.18.撮影
(3台の月決駐車料金が神社管理費用の一部になっているのでしょう)

21.02.18.撮影



広島の神社仏閣」編



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被爆した建物・構築物」編


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