ふもん じ
普門寺

  中区大手町に建てられている「八屋山(はちやさん)普門寺」です。
※広島新四国八十八ヶ所霊場第六十九番霊場です。
普門寺は曹洞宗のお寺です。本尊は聖観世音菩薩です。
縁起:天平12(740)年行基(668-749)が行脚中藝州吉田に錫杖(しゃくじょう:僧・修験者の持つ、つえ)を留められた時、河底から一道の神光を発し山頂の樹上に掛ると村人の話を聞き、七昼夜修禅念誦(ねんじゅ=念仏誦経)して、老翁より暗示を受け漁師に河底へ網を下させるや観音像が上がりその地に大士堂を建てさせて尊像を安置した。
天台僧頼円このお堂に錫杖を留め雪中に観行(かんぎょう)し今にも餓死せんとする時、八屋柿を手にした老翁が顕われて命を救われた、山号はこれに由来する。
毛利元就(1497-1571)吉田城にある時祈願することがあってお堂に通夜し暁夢に大士の妙相が顕われ軍配団扇を授けられたその時孫の輝元(1553-1625)久しく続子に恵まれずお堂に祈って一男のちの長門の守(秀就:ひでなり、1595-1651)に恵まれた。
その後、可部、打越、広瀬と各地を移転し、福島正則(1561-1624)によって元和8(1622)年春に現在地に移されました。
縁起は、「巡拝の手引き」普門寺の項を参考にて編集していました。
今(2009年)回「知新集」をみてみました。
吉田村開基天平12(1740)年とあり、毛利時代に打越村に移され、廣瀬村にかわり、福島正則時代(在任:1600-1619)今の地に建立とあり年代は特定していません。また、普門寺と唱えたのは建立時代からと考えられ、古くは観音坊と呼ばれていたものと知られており、國泰寺三世十岫を開山とするとありました。
このお寺の前を20年ほど前から歩くことがありましたがお寺があったかな〜くらいの認識しかなく、寺名も知らなかったのです。
立ち寄りお参りしたのは2005年の交流ウォークが初めてで、後日撮影しました。
2008年広島新四国88ヶ所霊場スタンプラリーで立寄りました。本堂は鍵が掛かっており御本尊を拝むことができませんでしたが境内から本堂などを撮影しました。
2021年コロナ禍の中でしたが久しぶりに通りましたので正面から撮影していました。2008年再び撮影した当時、恥ずかしながら“大悲殿”“寺紋”も撮影しておきながら意味も考えていませんでした。
今(2022年)回頁を更新するにあたり、
寺紋が毛利氏と同じ“一文字三つ星”であったこと、聖観音さまを安置していることから本堂を“大悲殿”との扁額が掛けられている事が分かったのです。
22.03.24.更新  05.09.30裕・記編集

05.09.24.撮影
広島市中区大手町3-5-5

05.09.24.撮影
第六十九番 普門寺
本尊 聖観世音菩薩

次 第七十番
西蓮寺へ 0.8KM

05.09.24.撮影
本堂

08.06.30.撮影
(階段の右側にステンレス手摺が設置されていました)

08.06.30.撮影

08.06.30.撮影
本堂:大悲殿  寺紋:一文字三つ星
大悲殿 (だいひでん) 
大悲とは観音菩薩の別名で、衆生の苦しみを救おうとする仏や菩薩の広大な慈悲の心を表します。
大悲殿とは聖観音(聖観世音菩薩)や千手観音や如意輪観音などの観音菩薩が安置されている建物のことです。建物自体に大悲殿と名付けている場合は少なく、観音菩薩を本尊として祀る寺院の場合は本堂を、本尊以外に霊場本尊や札所本尊として別の建物に祀る場合は観音堂を指します。

21.02.18.撮影
正面からみました

21.02.18.撮影
(2008年当時階段右側の方に設置されていたSUS手摺が撤去されていました)



広島の神社仏閣」編
(「広島新四国八十八ヶ所霊場」編)



広島ぶらり散歩へ
普門寺
(境内の)被爆した墓石など
(境内の)手押しポンプ


inserted by FC2 system