たかのばし あと
鷹野橋跡

  中区大手町のタカノ橋商店街(東側)の先にモニュメントとして残されている「鷹野橋」です。
広島藩「鶴の御成」行事場鷹野橋
その昔、歴代の広島藩主はこの地を御鷹野として、鶴・鴨等の鷹狩(鶴の御成という)を盛んに行っていたそうです。この鷹野橋は土橋がかかっており、その名は「鷹の橋」と呼ばれていました。
明治44(1911)年西堂川の埋立によりこの橋はなくなりましたが、現在でも「鷹野橋」はこの地の呼び名として残り、市民に親しまれた街として栄えています。
勤め人だった時はここを何度も通っていたのですが、鷹野橋の由来板を読んだのは今(2005年)回の交流ウォークがはじめてでしたので撮影してこの頁を編集しました。
また根際に建立されているバタバタ石のこと(妖精といわれるバタバタのことは)、はじめて知りました。
安佐南区の安川に架かる正伝寺橋は、昔鷹狩りに来た殿様が通った橋ということで「御鷹野橋(おんたかのばし)」と呼ばれていたそうです。
  (関連頁)安佐南区安川に架かる正伝寺橋
2016年暮れ広島赤十字病院での定期検診後歩いていた時、東側から撮影していなかったなと思い出し撮影し、そうか横断歩道上からはどう見えるのだろうかと撮影しましたので、この頁を更新しました。
17.01.21.更新   05.10.01裕・記編集

05.09.17撮影
広島市中区大手町5-6-91 (交番の斜め前) 

05.09.17撮影
(設置の説明板) 

05.09.17撮影
 (交流ウォーク時)

16.12.22.撮影
(≒南東からみました)

16.12.22.撮影

16.12.22.撮影

16.12.22.撮影
南側親柱:たかの橋 北側親柱:たかの橋

16.12.22.撮影
(横断歩道僑から見下ろしましたが北側親柱が写る構図にはなりませんでした)

16.12.22.撮影
バタバタ石・モニュメント
江戸時代宝暦8(1758)年広島城下最大の大火後、鷹野橋界隈に出現すると伝えられ、バタバタとムシロをたたくような音を立てる正体不明の妖怪が、婆多婆多(バタバタ)です。誰もその姿を見たものはないが、一説ではバタバタとは、小さな石に宿る妖精ともいわれる。                    平成7(1995)年11月11日

05.09.17撮影
鷹野橋跡の(西側)根際に設置されているバタバタ石(モニュメント)



「広島の橋梁など」編



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(民話)バタバタ石
鷹野橋跡
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(西堂川)西堂橋
(西堂川)鷹野橋


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