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中区大手町2丁目歩道根際に建立されている「中國新聞創刊之地・碑」です。
*碑裏をみましたが、何も刻まれていないようでした。 |
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説明板もなく、この碑だけでしたので、建立年月日、(中國新聞社かその関係者だとは思いますが)建立者、揮毫者などは(わたしには)わかりません。
今まで見てきたこのような碑では創刊〇〇周年記念として建立されることが多いのですが。 |
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1892(明治25)年 |
5月5日 |
日刊「中國」として創刊。
(当時の)広島市大手町4丁目東側に本社を置く。
創立者・山本三朗(1861-1933)、社長・長屋謙二(のち九代広島市長)、主筆・長井革堂、編集長・竹岡風侠。 |
1908(明治41)年 |
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題字を「中國新聞」と改称。 |
1926(大正15)年 |
3月 |
(当時)上流川町にRC造3階建の新社屋竣工(本館) |
1936(昭和11)年 |
12月 |
RC造7階建・塔屋3階の新館を増築 |
1945(昭和20)年 |
8月6日 |
原爆で、本社も被災。(本館爆心地より≒890m)新館≒870m) |
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8月9日~ |
島根新聞や九州・大阪の朝日・毎日新聞等の協力で代行印刷で対応 |
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8月31日~ |
温品(ぬくしな)疎開工場で自力印刷 |
1955(昭和30)年 |
9月 |
本館、新館(そのままで)を包込んで5階建てで一体化 |
1969(昭和44)年 |
9月 |
平和大通り沿いの現在地に社屋新築移転 |
1970(昭和45)年 |
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胡町(旧町名:上流川町)の旧社屋解体(跡地は現在・三越百貨店) |
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コロナ禍の2020年12月兄と密でなかったおにぎり屋さんで昼食を摂った後、紙屋町に行く道すがら目に留まり立ち止まってみたのがこの碑でした。
わたしが勤め人だった一時期支店勤務だった平成初めころこの道を歩くことしばしばだったのにこの碑に気が付くことがなかったのです。退職したのちもまち歩きでこの辺りもぶらり散歩しているのに気が付いていなかったのです。
先にも書きましたが、この手の碑は〇〇周年記念として建立されることが多いから創刊100周年とすると1992(平成4)年となるのですが、奥ゆかしい碑だと云えば云えなくもありませんが、せっかく建立したのですからもう少しわかる説明板の設置を望まずにはおられません。 |
20.12.21.裕・記編集 |