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南区宇品御幸の広島市郷土資料館に展示されている「元軍船碇石」です。 |
元軍船碇石(いかりいし) 重さ:約250kg、長さ:約2.1m |
この碇石は、1274(文永11)年、1281(弘安4)年の二度にわたる元寇の時、元の軍船に使用されていたと考えられるものです。
元寇の時、多くの元の軍船が北九州沿岸に来襲しましたが、折からの暴風雨のためその大部分が沈没したといわれています。その結果、北九州沿岸部からこの「碇石」と同様の石が発見されています。
古代から中世の船に使用されていた碇は「木碇(きいかり)」と呼ばれる木製の碇で、その重しとしてこのような棒状の石が使用されていました。
この碇石は、その当時使用された碇の形態を伝える資料として大切なものです。 |
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この碇石は、1931(昭和6)年から開始された(福岡県の)博多湾浚渫(しゅんせつ)工事中に発見されたものです。
その後、(軍都・廣島の)宇品の陸軍運輸部に移し保管されていたものです。
現在は、陸上自衛隊中央輸送業務隊の所蔵ですが、同隊の好意により借与を受けて展示しているものです。 |
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(きいかり)
木碇: |
枝の出ている木をかぎ形に切り、石を結びつけた碇。
江戸時代に鉄碇が普及するまで主用され,小型漁船では近代まで使われた。 |
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広島には往来の舟が碇を降ろしたことから碇神社と名づけられた神社が鎮座し、碇石跡碑が建立されています。
福岡で育ったわたしは博多湾で蒙古軍に関する出来事に興味を抱いていたものです。
2006年長崎県の平戸に行ったとき、オランダ船の船錨、中国船の碇石が展示されているところを見たのです。そのようなことから、ここ広島市郷土資料館に展示している「碇石」を撮影したのです。説明板を読めば、軍都廣島にもつながるこの元軍(蒙古軍)の碇石の頁を編集しました。 |
2014年NETで碇石を検索していたら、博多の櫛田神社に碇石が展示してあることを知りました。子どものころから何度となく遊びに祭りで訪れているのにまったく知らなかったといううかつさでした。 |
14.08.15.裕・記編集 |