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南区宇品東の(現在)県立広島大学広島キャンパ(南側植込みの中)に建立されている「広島県立広島第二高等女学校の碑」です。
※この地(当時、広島女子専門学校校地)に1941(昭和16)年に開校した廣島縣立廣島第二髙等女學校です。 |
碑文
昭和16(1941)年4月広島女子専門学校、現在の広島女子大学*1の敷地内に開校する。
昭和20(1945)年8月6日勤労動員中原子爆弾投下により教師、生徒多数の尊い命を失う。
昭和23(1948)年4月学制改革で広島広南高等学校として発足したが、翌年高等学校の編成がえにより閉校となる。
平成8(1996)年 同窓会之建 |
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1902(明治35)年4月 |
広島県立広島高等女学校開校 |
1941(昭和16)年4月 |
広島県立広島第二高等女学校(宇品に)開校
※広島県立広島高等女学校は広島県立広島第一高等女学校に改称 |
1945(昭和20)年8月6日 |
国泰寺町(建物疎開作業をしていた地)に建立の「廣島縣立廣島第二髙等女学校殉國學徒之碑」碑文に教官2名、生徒43名が原爆に犠牲になったとあります。
(根際の慰霊碑には教官生徒47名となっています) |
1948(昭和23)年5月 |
広島県立広島第二高等女学校廃止。広島県広南高等学校(女子校発足 |
1949(昭和24)年 |
広島県広島皆実高等学校発足
※広島県広南高等学校+広島県広島有朋高等学校広島市立工業高等学校+広島市立工業高等学校(統合) |
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*1) |
1965(昭和40)年 |
広島女子大学 |
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2000(平成12)年 |
県立広島女子大学 |
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2005(昭和51)年 |
県立広島大学
※県立広島女子大学+広島県立大学+広島県立保健福祉大学(三大学統合 |
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2003年国泰寺町に建立の「廣島縣立廣島第二髙等女学校殉國學徒之碑」に頭を垂れた後撮影し頁を編集しました。
2015年被爆70年で2月再度訪れその頁を再編集した時、この「廣島縣立廣島第二髙等女學校之碑」が県立広島大学広島キャンパスに建立されていることを知りました。
9月になって(近くの)広島市立第三国民学校慰霊塔を訪ね撮影した時、ここ県立広島大学にも立寄り撮影してこの頁を編集に取り掛かりましたが、広島県立広島第二高等女学校の略沿革が(わたしは)わからず編集は中途半端なままでした。今になりましたが広島皆実高等学校や県立広島大学の公開資料(沿革)を参照して上記のようだったのではと一応の結論をだしてこの頁をまとめました。 |
16.05.26.裕・記編集 |