(本川沿い) じょうやとう
常夜燈
  中区土橋町の本川右岸に再建されている「常夜燈」です。
常夜灯本体は戦後再建されたものですが、その基壇は爆心地から≒480mで被爆し、現在も残され常夜灯の基壇(基礎)として利用されています。
      常夜燈・雁木(がんぎ)
広島には天然の良港がなく、広島開府以後大田川の川ぞいに町は発展し、とくに本川すじは広島の商業の中心として繁栄してきた。
常夜燈は、現在の燈台と照明を兼ねた施設と推測される。起源については不詳であるが、当時の本川すじの繁栄を描いた江山一覧図{文化5(1808)年の銘あり}にも描かれていることから、少なくとも1808年以前に設けられたものということができる。
対岸の平和記念公園側からみると、今でもその石積みをはっきり認めることができる。
雁木は、護岸に設けられた階段で、船着場と荷揚げ施設を兼ねたものである。
(本川護岸)・常夜燈基壇は爆心地から480m (被爆当時町名:塚本町)
平和記念公園から見えるこの常夜燈は、以前から知っていましたが戦後設置のものであろうと思っていましたので撮影もしていませんでした。
2006年になり説明板がありましたので撮影しました。資料をみていると藩政期から荷揚場として栄え周辺の堺町は問屋街としてにぎわったとありました。
また、この常夜灯の基壇が被爆した構築物として紹介がありましたので、被爆構築物としてこの頁を編集しました。。
2015年新聞報道で、この常夜灯の隣の公衆便所が被爆した建物ではないかと調査していると知り撮影しましたので、この常夜灯と一緒に撮影してこの頁を更新しました。
(本川公衆便所は、やはり被爆した建物〔窓や外壁仕上げは改修していますが〕と云うことで広島市が登録しましたので、別頁で編集します。)
16.06.08.更新    06.12.22裕・紀編集

06.08.05.撮影
広島市中区土橋町8

06.05.11.撮影

06.05.11.撮影
被爆した常夜灯の基壇を川側から 基壇を道路側からみました

06.05.11.撮影
(灯篭自体は戦後のものですが)護岸から飛出している基壇は戦前からのもので被爆したものだそうです。

15.07.29.撮影
(2015年被爆建物として登録された)本川公衆便所 と 「常夜灯」

15.07.29.撮影

15.07.29.撮影
本川浜恵美須神社  雁木     (樹木に隠れ気味ですが)「常夜灯」 本川公衆便所



「被爆した建物・構築物」編


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