(広島市営)平和アパート・昭和町

  中区昭和町に広島市によって建設されている「平和アパート」です。
この平和アパートは昭和23・24(1948・1949)年度に建設され、広島市で初めての鉄筋コンクリート造(4階建、3棟、72戸)の市営住宅で、当時の住宅はほとんどが木造で、また、著しい住宅不足の時代でもあったため、モダンな住まいとして市民の注目をあびました。
恒久平和と焦土からの復興を願い「平和」の名を冠しています。
このアパートには、詩人・峠三吉(1917-1953)も入居し(昭和25〜28年:1950〜1953年)部屋の窓から京橋川を眺めてうたったと思われる詩「河のある風景」
を残しています。昭和62(1987)年度に河岸に映える住宅づくりの一環として国の補助を受け景観改善事業を行いました。 昭和63(1988)年3月 広島市
※説明碑に『河のある風景』の一部が刻み込まれていますが全文を下記に掲載しました
2012年2月2日中國新聞をみていたら「平和アパート建替えへ」という記事が掲載されていました。
『広島市は、戦後復興期を代表する建物の一つである市営平和アパートを建て替える方針を固め、2012年度民間業者を活用した複数の事業手法について検討を進め、どのような事業計画ができるか検討する』そうです。
2017年1月12日中國新聞に「平和アパート解体へ 時期は今後詰める」という見出しに目が留まりました。
平和アパートは、2018年2019年度に相次ぎ70年の耐用年限をを迎えることから、計画上は解体後民間事業者に市営住宅スペースを含む建物を新築させるか、跡地を売却したりするかなどを想定しているそうで、「峠三吉」詩碑の扱いはまだ未定とのことで、2012年の記事とたいして変わりがないないようでしたが、解体は決定したようです。
2006年交流ウォークで立寄り撮影し頁を編集しました。
2008年交流ウォークの時、増田先生に峠三吉が3号棟の4階に入居していた事を教えていただきました。
HPを引越しているいま(2011年)になりましたが、追記しました。
南区の京橋会館も戦後復興期を代表する建物の一つでしたが、2012年現在解体され新しい複合ビルが建設されていますが、ここ平和アパートも今回の報道から解体され新しい形態の建物になるのでしょうね。
2015年久しぶりに訪ね、撮影しました。(上記の報道がありましたので、新しく建替えられるという事は聞いていませんでしたが、見逃している事もあってはならぬと思いましたので)
17.01.14.更新   06.10.25裕・記編集

06.06.17.撮影
広島市中区昭和町8

06.06.17.撮影
3(号棟)の文字板は無くなっているようです

06.06.17.撮影
碑板には「すでに落日は・・・背中をそそけだてる」(とありますが下欄に河のある風景全文を)














































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15.03.21.撮影

15.03.21.撮影

15.03.21.撮影
≒西北からみました

15.03.21.撮影

15.03.21.撮影

15.03.21.撮影
≒東北側からみました  (画像左が京橋川です)
敬称は略しました



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