やはたがわ(がいせつ)
八幡川(概説)

  八幡川(やはたがわ)は、広島市西部を流れる二級河川です。
延長:20.9km。流域面積:83k㎡。
広島市佐伯区湯来町の東郷山より阿弥陀山に至る標高800m内外の連山に発し、葛原(つづらはら)で木末川(こずえがわ:延長≒5.1km。流域面積:10.6k㎡)と合流、東流しながら中流部に至り、魚切ダム〔1981(昭和56)年建設〕を経て佐伯区上河内より南方に曲流しています。
五日市町中地で最大の支川である石内川(いしうちがわ:延長≒8.7km。流域面積:23.5k㎡)を合流した後、瀬戸内海(広島湾)に注いでいます。
河口付近では佐伯区と西区の区境を成しています。
八幡川旧河道は、広島県道290号原田五日市線の東側に併走していました。河道が変わったのは江戸時代の頃
※1と云われています。
※上記資料は、広島県河川課などの資料を参照しました。
“五日市まちめぐり散策路”の旧八幡川跡(古川)の説明板によると
『八幡川は、五日市の竹之内からまっすぐ南に流れ亀山で海に注いでいて、川から東が水長村(後の皆賀村※2)、川から西は五日市村でした。八幡川の付け替え
※1により旧河道は「古川」と呼ばれ、両岸の田地面より低く、後に埋め立てられ水田となりました。また、舟運での荷物を揚げた「揚(あげ)」の地名や、「木船(きふね)」の地名も残っています。かっての古川の両岸に沿って道路の下にはいまも「五日市用水」が流れています。
※1 八幡川の(現在の)流路改修の時期には諸説あるそうです。
応永(1394-1428)年間〔佐伯郡誌〕、承応(1652-1655)年間〔国郡書出帳〕、元和~寛永15(1615-1638)年の間〔五日市町誌〕
※2 皆賀(みなが)
地名の由来は、水捌けが悪く、霖雨洪水に際して鈴が峰から流れ出る水が長く滞留したことから“水長”と称したが、寛文4(1664)年の八幡川瀬替えによって水難を免れ、村内皆がこれを賀したことから“皆賀”と改めたという。(国郡志書出帳)
佐伯区五日市港へコベルコ建機が安佐南区から移転して、「油谷重工国民義勇隊慰霊碑」も移設されましたので、2016年になりましたが訪ねたのです。
その時いままで、編集していた「旧五日市町」編の編集頁も見直していたのです。
JR五日市駅自由通路に設置されているに「五日市まちめぐり散策路・案内板」を見ると、八幡川が(江戸時代に)付け替えられ現在の流路になったことを知りましたので、八幡川についての頁を編集するか考え、この頁を編集しました。
  地名辞典をみて八幡川流路改修に時期について、また水長村と云われていた村が皆賀村となった由来などを知りましたので、参考にして記述しました。
16.07.11.裕・記編集
八幡川(途中までの)地図

五日市まちめぐり散策路・案内板

16.06.28.撮影
(JR五日市駅自由通路に掲載の説明板の旧八幡川跡が入った地図部分を使用しています)

16.06.28.撮影
皆賀橋の上流側をみました

16.07.16.撮影
新八幡川南側(上流側)右岸より上流方向をみました

10.09.18.撮影
新八幡川橋(もう一本の架橋前)から広島湾方面をみました (正面左側:似島・安芸小富士)



「水関連」編



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